母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20150915

先日、出会って間もない人に「中島さんて、人間のこと信用してないでしょう。見てると分かるよ」と言われた。

彼の言う「人間」の定義も「信用」の意味することの範囲もよく分からなかったので、「どうでしょうね、少し考えます」と答えたら、相手は面食らった様子で、いやそんな真面目に考えなくてもいいんだけど、と言い、何となくそこで会話が途切れてしまった。
 
わたしたちは電車に乗っていた。
大きな台風がくるという報せのせいか、単に時間帯のせいか、電車は奇妙なほど空いていて、わたしたちの正面のシートには誰も座っていなかった。
次第に大きくなる雨粒に叩かれている車窓越しに、都心を離れるにつれ低くなっていく建物のかたちを目で追いながら、わたしは自分が人間を信用していないかどうかを考えた。
 
わたしには心から信頼している人が、多くはないが確かにいる。
 
でも、たとえばわたしは不特定多数の人が触れた物に触るのがあまり好きでない。一応触れるが、そういうものに触った後は除菌シートで手を拭く。
それは潔癖だからとかきれい好きだからというよりは、人はみな自分と同じ衛生観念を持っているわけではない、と思っているからだ。
 
人にはそれぞれの事情があり、毎日風呂に入ることができない人や、トイレの後必ず手を洗うような習慣を身につけることができなかった人がいる。仕事や何かの都合でどうしても体が汚れたまま公共物に触れざるを得ない人もいる。そしてそれがその人のせいかというと、それはわたしに分かることではない。
毎日すれ違うだけの他人のことを、わたしは知ることができない。もちろん「すいません、あなたトイレの後ちゃんと手洗ってますか?」と訊くこともできない。
 
だからわたしはつり革や手すりやトイレや、そういう多くの物を、「これを清潔でない状態で触った人もいる」という前提で使う。
 
衛生的なことに限らず、わたしは世の中にはいろんな人がいると考えた上で、自分がなるべく苦しい状態にならないよう、自分なりに備えながら生活している。
人と約束事をする時も、それが果たされないことを想定しておく。褒め言葉や優しい言葉も、そのまま飲み込んで喜ぶ前に、一応相手の本音を精査してみる。
 
そういうわたしの性質は、彼の言う「人間を信用していない」ということに当てはまるのだろうか。しばらく考えて、ものすごく雑に言えばそういうことになるのかもしれない、と思った。
 
電車が駅に停まった時、「さっきの話ですけど、多分そうだと思います。でも人間が嫌いとかそういうことはないです」と答えた。相手はふうん、と言った。わたしの返答の意味について考えているようにも見えたし、もうその話題から興味を失っているようにも見えた。
 
信用ということはよく分からないが、わたしは人間を愛していると思う。愛していて、その多様性をある程度受け入れているからこそ、その中で自分が何とか生きていく術を探している。そういう姿勢を「人間を信用していない」と受け取る人がいることも、理解している。
 
できているかどうかは別として、わたしは他人は自分と同じではないということを、できる限り尊重したいと思っている。やっぱりそれは「信用していない」とは別のことなんじゃないか、むしろかなり遠いことなんじゃないか、と思ったが、もうそれを口にはしなかった。
 
今日買ったtofubeatsの最新アルバム『POSTIVE』に収められた楽曲たちは、そのタイトルの通り、みな明るく前向きな色合いと響きを持っていた。自然と明るい気持ちがやってきて、体が動き、胸が踊った。
 
しかし、どの曲にも、一般的に「ポジティブ」とされるものについてまわりがちな、軽さや薄さは全くなかった。むしろ、その音と言葉の底には「ポジティブ」とは反対の何かがあった。人間や物事に対する諦めと寛容さがないまぜになった、重たい碇がついているようだった。
 
それが最も色濃く出ているのが、中納良恵をボーカルに迎えた『別の人間』だと思う。
 
「二人は たがいちがい 別の人生さ でもなぜか 通じ合うのなら  二人はわかりあえない 別の人間さ 一生かけてそれを知るのなら」
 
基本的に他人同士は分かり合うことはできないというかなしい限界を当然のように前提としながら、でも時に心が通じ合うこともなくはない、と、愛情や人間関係というものの不確かさを前向きに肯定しようとする歌だと思った。
 
わたしは真のポジティブというものがあるとしたら、これがそうなんじゃないか、と思った。
 
こんなことはわたしの個人的な受け取り方に過ぎないし、tofubeatsの作品と自分とを比べるのはおこがましいが、わたしの他人に対する態度も、「限界を知った上でなるべく肯定していきたい」という点では同じだ。そう思った瞬間、今まで自分とは縁遠いと思っていたポジティブの芽のようなものを、自分の内側に見た気がした。
 
ここ数日考え続けていたことが、あるべき場所にすとんと収まり、目の前が眩しくひらけるような音楽体験だった。
 
わたしはきっとこのアルバムをずっと聞き続けることになるだろう、と思った。未来のことは分からないが、とりあえず今はそう期待している。