母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20151130

仕事が終わって地下鉄で病院に向かう途中、Twitter水木しげる先生が亡くなったことを知った。正確に言うと、みんなが水木先生の話をしていたので「亡くなったんだな」と思っただけで、公式な訃報には触れていない。

 

台所で母親が夕食の準備をしている気配を背中で聞きながら、『ゲゲゲの鬼太郎』の再放送を面白いとも面白くないとも思わずただ見ていたこととか、NHKでやっていたドラマ版の『のんのんばあとオレ』は面白くて夢中になって見ていたこととか、正直それくらいしか思い出はない。でも素直に残念だと思った。人が死ぬのは残念なことだ。誰であれいくつであれ、それはそんなに変わらない。

小さい頃洋画を観ていて、お悔やみを伝える場面で「残念だったわね」という字幕が表示されると、妙な気分になった。「sorry」という単語とも、意味合いがうまく結びつかなかった。「残念」っていうのは、たとえばすごく努力したけど思うような結果が得られなかった時とかに使う言葉で、人が死んだ時に使うのにはそぐわないんじゃないか、これは正しい訳なのだろうか? と思っていた。

でもいつからか、人が死ぬのは残念なことだと思うようになった。悲しいと思うより先にそう思うようになった。仕方ないな、でもとても残念だな、と。

 

父方の祖父の葬式で、わたしは少しも悲しいと思わなかった。悲しいと思えるほど、深い付き合いがなかった。というかよりはっきり言うと祖父母とあまりいい関係を築けていなかったので、今、祖父と交わした会話を思い出そうと記憶を掘り返しているけれど、ただの一言も出てこない。

通夜の夜、祖父の遺体のそばで、寿司を食べたことは妙にはっきりと覚えている。

遺体のそばで食べる寿司はどんな味だろうと思ったが、寿司は寿司の味だったし、食欲も普通に湧いた。ネタが渇いていて、シャリがうまくまとまっていなくて、味音痴の自分にも、大した寿司ではないことが分かった。寿司を食べながら祖父の顔を見ると、ぬらりひょんに似ていた。生きている時から似ていたが、死んだことでより一層似たな、と思った。不謹慎だと思ったが、思ってしまったものは仕方ない。

 

焼かれた祖父の骨には、ところどころ蛍光マーカーみたいな鮮やかな色がついていた。「これ、何の色ですか」と親戚の誰かが訊いて、「飲んでいた薬のせいではないか」というようなことを火葬場の人が言った。

骨壺に骨を納める段になって、それまでぼんやりしていた祖母が突然取り乱して驚いた。斎場から火葬場に向かうバスの中で酔ってしまい、頭が痛くて早く帰りたかった。遅れてやってきた兄は、制服を着崩していて、ズボンからパンツが半分くらい出ていた。

 

祖父はいわゆる成金で、大きな家に住んでいた。庭は純和風に整えられ、池にはでっぷりとした錦鯉が泳いでいた。羽振りが良く面倒見がよかったようで、わたしが幼い頃は素性のよく分からない取り巻きのような人たちが何人かいて、その謎のおじさんたちにお嬢さんお嬢さん、とちやほやされた時期もあったが、祖父が病床についたのを機に、そうした人たちはみんな離れていったようだった。

 

そのうちのひとりが、葬式に来ていた。

後日そう言うと、どういうわけか父も親戚も誰もその人の姿を見ていないと言い、「人違いじゃないか」と言われたが、あれは確かにあの人だった。かつてどう見ても堅気らしくない時代錯誤な三つボタンのスーツに身を包み、高級車を乗り回していたその人は、古ぼけて汚れたジャンパーを羽織り、作業ズボンのようなものを履いて、片足を引きずっていた。老いてやつれた面差しに、昔の名残りが少しだけ見えた。その人は棺の中の祖父の顔を、随分長いこと見つめていた。

 

人が死ぬと、誰かが死んだ時のことを思い出す。

わたしは祖父のことをよく知らなかったし今も知らないが、つかの間の夢のようないい時代を少し共有しただけであろう素性のよく分からない人に、死に顔をじっと見つめられるような人だったのだ、と思ったことを、今、何年かぶりに思い出している。

 

あの人のあのまなざしは何だったのだろうと思う。悲しみか、懐かしさか、あるいは恨みか。

あの人も、ただ残念だと思っていたのかもしれない。年齢不詳な人だったが、今も生きているだろうか? もし、もう死んでいたら、葬式はちゃんと出してもらえたろうか。そこに死に顔をじっと見つめる誰かはいただろうか。

人が死ぬと自分が死ぬ時のことも考える。わたしが死んだら葬式は行われるだろうか。死に顔をじっと見つめる人はいるだろうか。

 

婚約者は「考えても仕方のないことはなるべく考えないようにしなよ」とよく言う。

でもわたしは考えても仕方のないことを考えずにはいられない。意味も脈絡もなく、正確かどうかも分からない、思い出しても仕方のない記憶の断片を継ぎ合わせたのが今のわたしだと思うからだ。

あの人がもし死んでいたら、悲しくはないが、残念だと思う。

でも顔はうまく思い出せなかった。スーツと黒塗りの高級車しか、もう思い出せない。