母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20141108

新しいタイプの納骨堂が、港区三田に誕生しました。
 
という広告が目の前にあった。
しばらく眺めていたけどどういう点が新しいのかはあまり分からなかった。考えてみたらそもそも納骨堂って何なのかわたしは知らない。それは墓とは違うものなのか。
 
大江戸線は地中深くにあって車両の屋根が低いので、乗っていると狭い部屋の中にいるような気持ちになる。走っている間ずっと、狭い部屋が動いているなぁと思う。
 
納骨堂の広告の言葉が全然頭に入ってこないので視線を落とすと、向かいに座っている女の子のコートとタイツの柄が何だか変で、何がおかしいのだろう、とよく見たら、ありえない量の毛玉がついていた。
 
大江戸線に乗る数分前、たまたま後輩の女の子と毛玉クリーナーの話をしていた。とう子さんがよかったと書いていたのを見て買ったらよかったです、と言われて、よいことをしたような気になった。あの子にも教えてあげたい。でも本人を見ると毛玉のことなんてちっとも気にしていなさそうだった。気にしていないなら必要ないなと思って、また広告を見た。
 
新しいタイプの納骨堂が港区三田に誕生しました、という広告を見て、「何だって、新しいタイプの納骨堂が? 今すぐ港区三田に行かなきゃ!」と思う人はいるのだろうか。いるからこういう広告があるのか。
 
自分の知らないところに、自分には用途のよく分からないものとそれに対する需要がちゃんと存在しているらしいことが、全然不思議ではないんだけど不思議なことのように思える。わたしの知らないところで、みんないろんなことをしている。
 
今日は友達や友達の友達や知り合いが、楽器を演奏したり歌ったり朗読をしたりする会に行った。
 
みんなそれぞれ立派にやっていて、それはちゃんと練習をしたということだけど、みんなが会社帰りや休みの日なんかに時間を作って同じ曲を何度も弾いたり歌ったり、同じ言葉を何度も口に出したりしていたと考えると、これまた不思議な気持ちだった。
何度も同じことを今日の為だけにやってきて、その成果を一回だけ見せてもらった。わたしは、その一回の中に詰まった、みんなのこれまでの日々のことを思った。
 
練習の帰りに何を食べたのか、その日は晴れていたのか、寒くはなかったか、今日まで今日のことをどんな風に想像してきたのか、その想像は良い気分を呼ぶものだったのか、練習を恋人や夫や妻には聞かせたのか、そして何を言ってもらったのか、そういうことを考えていた。
 
久しぶりに人の集まる場に出たので、緊張してほとんど黙っていたが、知っている人たちの生活の中の知らない時間の一部を垣間見ることができて、うれしかった。
 
今朝、眠れずに再生した『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』で、大竹さんが、三村さんの家庭の話を聞くのが好きだという話をしていたのを思い出した。
 
知り合ってから今までのありとあらゆるお前を知っているけど、家庭の中のお前だけは知らないから、そういう話を聞くのが楽しいんだ、というようなことを大竹さんが言うと、俺も同じ、というようなことを三村さんも言った。
 
情緒不安定で恥ずかしいけど、その話を聞きながら、気付いたら泣いていた。
わたしが想像する「他人を好きだと思う気持ち」は、こういうかたちをしているこのこれだ、と思ったからだ。
いつかわたしも好きな人とあんな風に美しい気持ちを交わし合いたいと思った。互いに対する果てのない興味を、ゆるやかに、絶えることなく注ぎ合える相手ができたらいい。
 
今は、自分だけの狭い部屋に帰ってきて、布団の中でiPhoneでこの日記を書いている。
表でしていた工事のうるさい音はいつの間にかやんで、かわりに隣人が回す洗濯機の音がしている。