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母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20160110

「それにしても、お母さんになるにはちょうどいいタイミングだったね」と言われ、何と返してよいか分からずにいると、隣に座っていた婚約者が「本当ですね〜、人生タイミングですね!」と言った。驚いて彼の顔を見ると、彼はこちらに顔を向けないまま、テーブルの下でわたしの膝をぽんと叩いた。

昨夜は結婚を祝う食事会だった。
幼い頃からお世話になっている方が、地元からわざわざ東京までやってきてくれて、素敵なレストランを予約してくれた。すれ違う店員さんが皆、何も言っていないのに、おめでとうございますおめでとうございます、と言ってくれ、特別な部屋に通してくれた。良い日になるかもしれないと、どこかで思っていた。

子供の話は、流れては戻ってきた。その度に婚約者がにこにこしながら「そういうもんですかね〜」「なるほど〜! 勉強になります」とか適当なことを言って代わりに対応してくれた。
わたしはどんどん気分が落ち込んで、何をしていいか分からず、手持ち無沙汰で何度も炭酸水を飲んだので、コースの終盤は胃がはち切れそうだった。

会話の全ては、結婚するからには出産するのが当たり前、という前提で進められた。お祝いしてくださった方は、70歳を目前にした産科医だ。考え方の違いがあるのは当然だし、子供の話題になることも、十分予想できていた。

わたしたちは子供をもうけないつもりでいる。彼は「自らすすんで欲しいとは思わない」くらいで、わたしは「絶対に欲しくない」という考えなので微妙に差があるが、彼がわたしの気持ちを尊重するかたちで子供はもうけないと決まった。
彼の方の気が変わって子供が欲しくなったら、離婚するという約束になっている。

わたしの気が変わることはない。
生まれてから一度も子供が欲しいと思ったことがない。
精神に限らず、病気を抱えながら立派に育児をしている人は世の中にたくさんいるが、自分が精神に病気を抱えた状態で子供と暮らすことは、何度試してみても全く想像できなかった。子供、という言葉から何かを思い浮かべようとしても何の像も浮かばない。頭の中が真っ暗になるだけだ。

疲れ果てて、レストランの中庭に目をやった。眺めているうちに、12月に彼とイルミネーションを見た時に通り過ぎた場所だ、と気付いた。LEDの色合いが、以前と少し変わったようだった。黄色が強かったイルミネーションは、白を基調にしたものになっているように見えた。黄色が強いのもあたたかみがあってよかったが、こっちの方がキリッとしていて好きだと思った。

「仕事辞めないの?」「同居しないの? どうして?」「式も挙げないの?」「ゆくゆくは彼の故郷に住むんでしょう?」とか何とか言われながら、わたしは発言小町とかYahoo!知恵袋とかって嘘じゃなかったんだな、と思っていた。

他人同士でお互いのことを好きだと思い合えること自体が奇跡で、その上で面倒な社会的契約を結ぼうと思えることも奇跡で、もうその時点で手放しでめちゃくちゃすごいことなはずなのに、そう思う第三者ばかりではないのだということを初めて知った。

中二病みたいで恥ずかしいけど、わたしは男女問わずあまり他人のことを好きだと思えずに30年近く過ごしてきたので、自分が好きになった相手がたまたま自分のことを好きだと思ってくれていることだけで十分だと思っているし、自分に対しても、ここまでよく頑張ったねおめでとうお疲れ、と思っていた。

でもそうじゃなかった。もっと頑張らなくてはいけない。期待に応えなければいけない。ありとあらゆる審査が死ぬまで続く。一体何をどこまで頑張れば、本当の「おめでとう」を言ってもらえるんだろう、と考えたら、気が遠くなった。

帰り道でわたしは道端にうずくまって、結婚をやめたいと言って泣いた。
彼は「とう子ちゃんがやめたかったら俺はやめてもいいよ。でも何でやめたいのか教えて」と言って、隣に座った。

わたしはみんなと同じように普通の社会生活を送るだけでもいっぱいいっぱいなのにこれ以上何も頑張れない、これ以上頑張らないといけないのが結婚なら結婚なんてしたくないと言った。
「誰が頑張れって言ったの?」と言うので、お祝いしてくれた方の名前を言うと、「頑張れとは言ってなかったと思うけど、いずれにせよ別に他人の為に結婚するわけじゃないんだし、俺は誰も祝ってくれなくてもいい。とう子ちゃんはみんなに祝ってほしいの?」と訊かれた。改めて考えてみた。

別に祝ってほしいわけではない。
でも、できれば親やお世話になった大人たちに喜んでもらいたいし、感謝の気持ちを伝えたい。ありがとうございますと言うだけでは満足してもらえない気がするから、何か行動で恩に報いたい。
でも親やお世話になった大人たちがわたしに求めることは全部わたしがしたくないことで、結局何一つ報いることができない。自分が傲慢で薄情でダメな人間のように思える。それが苦しい。

そんなことをぽつりぽつりと話しながら気付いたが、喜んでもらいたいとか感謝の気持ちが云々と優等生的なことを言っているが、やはりわたしは単に他人に認めてほしいのだった。頑張ったねとかよくやったねとかすごいねとか言われたい。褒められたい。
でも、したくないことをしてまで他人からそんな気持ちを引き出して、何になるのだろう? それは自分の思う幸福とは明らかに違っている。違っていると分かっているのにわたしはそうしたいと思っているのか? そうしなければいけないと思っているのか? わけが分からなくなってきてしまった。

わたしは「何か考えてたらめんどくさくなってきた。寒い。早く帰りたい」と言って立ち上がった。婚約者も腰を上げ、言った。
「とりあえず自分たちのやりたいようにやってみようよ。それでもとう子ちゃんが苦しかったら、離婚すればいいよ」

結婚する前から離婚の話をするのも縁起が悪い気がするが「一生一緒にいよう」とか「永遠にどうのこうの」とか不確かで気持ちの悪いことを言われるより、ずっと現実的で心強い。
結婚では何も終わらない。結婚はきっと、幸福も救済も連れてはこない。ただ事実がひとつ増えるだけだ。

駅に向かいながら、彼は「離婚したら星野源と結婚できるよ」と言った。
「その頃には星野源も結婚してるよ」と返すと「星野源も離婚するかもしれないじゃん! いけるって!」となぜか愉快そうにしていた。

確かに星野源が結婚するかどうかなんて分からない。わたしたちには何も分からない。何も分からないから、今の自分の気持ちで、今、何かを決めるしかない。それがずっと続くのだ。生きていくのは大変だなぁ、と思った。
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