母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20160522

昨日、日比谷野音で行われたceroのライヴに行った(もしceroを知らない人がいたらググってください)。
わたしはceroが大好きで、このライヴを心の底から楽しみにしていた。比喩でなく、指折り数えてこの日を待っていた。

去年の秋ごろから、つらいことが続いていた。考えてみればひとつひとつは大したことではないのだが、生活というのはたくさんのことがいっしょくたになり進んでいるもので、つらいこともつらくないことも、ひとつずつはやってこない。束になったり層になったりしながらあれこれが押し寄せてきて、わたしの頭の中では、もう頑張れない、あと少し頑張ろう、もう頑張れない、というのが、いつも交互にぱかぱかと点滅していた。

今年に入り、ceroの東西野音でのワンマンライヴが発表された時、それだけでもう救われた気持ちがした。何があってもそれまでは頑張ろうと思った。きちんとその日を見届けたいと思った。そして昨日を迎えた。

ライヴの前半は、感情が高ぶりすぎて、最高に楽しい! という以外は記憶が曖昧なのだが、気持ちが落ち着いてきた頃にふと、隣の女の子が歌っていることに気付いた。
隣にいる人にしか聞こえないくらいの大きさで、高城さんが歌うのに合わせてそっと口ずさんでいた。もしかしたら、わたしが興奮していた間も歌っていたのかもしれない。

それを聞いて、わたしはこの子は今までこの歌を、何回くらい歌ったのかなと考えた。
何回くらい聞いたのか、誰と聞いたのか、どんな部屋で聞いたのか、何を食べながら聞いたのか、夏だったのか冬だったのか、どの道を歩きながら聞いたのか、何線に乗りながら聞いたのか、その時中吊りには何が書かれていたか、そういうことを延々と想像した。妄想した。
音楽は部屋で聞けて、外へ持ち歩くことができて、こうして生で聞きに行くこともできて、すごくつまらないことを言うけど、ここに集まっている全員にceroの曲にまつわる物語があるんだと思ったら、果てしない気持ちになった。
そしてその物語の大半は、何の変哲もなくありきたりで、めちゃくちゃにドラマティックなものなんて多分そうそうない。でもそれは、その人だけのものだ。
わたしのceroの曲にまつわる物語も、とりたててドラマティックではない。でも、まごうことなく全部わたしだけのものだ。仮に誰かと一から十まで全く同じだったとしても、わたしのものだ。
そう考えたら、さらに果てしない気持ちになった。
ここにいるわたしとわたし以外の人たちは、程度の違いこそあれceroが好きだろう。そして今同じ場所で同じ音に耳を傾けている。でも何もかもが違っている。わたしとわたし以外の人は違うし、人は一人一人みんな違っているんだということに、初めて気が付いたような気分だった。もちろんそんなことは物心ついた頃から頭では分かっていた。でも、体感としてそれをはっきりと理解したのは、昨日が初めてだった。

わたしは会場を見渡して、ステージを見て、ステージの奥に建つ大きなオフィスビルを見て、それから空を見た。ヘリか小型の飛行機が飛んでいくところだった。あの中にも人生があるのだ、と思った。

そしてわたしは、この先このわたしだけの人生を、どうしたいんだろうと考えた。
20歳くらいの頃は、28歳ってようやく仕事が楽しくなってきたり、お金がそこそこ貯まってきたり、デパートの一階で大して躊躇せず高い化粧品を買ったり、おしゃれなレストランでご飯を食べたり、ドラマみたいな大恋愛をしたり、友達と気軽にハワイに遊びに行ったりするのかと思っていた。でも実際にはわたしは一度もそんなことを経験していない。というかそもそもそんなことしたかったのかも分からなくて、ぼんやりしていたら今日になっていた。恥ずかしくて、不甲斐ない。
でも、この際どうしたかったかはもうどうでもいいし、どうしようもない。今、どうしたいのかを、今、考えなくてはだめだと思った。考えた方がいい、というのとは違う。考えなくてはいけないと強く思った。

わたしはまず、とにかく今この瞬間したいことをしてみようと思った。些細なことでも、したいことを少しずつ積み上げていけば、だんだん自分や、自分の人生の輪郭が見えてくるのではないかと思った。それで、今何をしたいかな、と考えて、隣の女の子のように歌ってみたいと思った。大好きなceroの演奏に合わせてわたしも歌ってみたかった。
わたしは、彼女よりずっとずっと小さな声、わたし自身にしか聞こえないくらいの声で歌ってみた。
口から声が出たら、それと一緒に涙が出た。わたしはずっと歌いたかった、声を上げたかったのだということに気付いた。

女の子は相変わらず歌っていて、高城さんももちろん歌っていて、わたしは泣けてしまってもう歌えなくなっていた。
女の子のひらひらしたカットソーの袖が、わたしの腕に触れては離れた。彼女は体を揺らし、歌いながら、時折眼鏡と顔の隙間に指を入れて涙を拭っていた。

同じだね、でも違うね、と思った。
永遠に分かることのない彼女の心の内に勝手に思いを馳せながら、ceroの素晴らしい演奏と歌声と、雨の予感を含んだ空気と夕暮れに溶けていく彼女の細い声を聞いた。よく生きたいと思った。