母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20170811

なくなってほしくないと思うものがある。

この間わたしは友だちを場外馬券場に連れて行った。まだまだ初心者ではあるけれど、一応一年半くらい競馬ファンをやっているので、競馬は初めて、という彼女をアテンドすることになった。

2レース買って、わたしはかすりもせず、友だちの予想の方がいい線をいっていた。いいところを見せようとひそかに意気込んでいたわたしは結構恥ずかしくて、単純に負けたことも悔しくて、でも楽しげな彼女を見たら、そんな気持ちはすっと消えてしまった。

馬券場を出て友だちの友だち夫婦と合流し、中華料理屋で小腹を満たしてから、食べ物は美味いが、店員が脈絡なく客を威嚇したり、大声で意味不明の嫌味やひとりごとを連呼する地獄みたいな立ち飲み屋を挟んで、いよいよメインのもつの店へ。以前来た時、運悪く臨時休業だったので、リベンジしよう、と言っていたのだった。
2軒目の店について、もう二度と行かない! と憤りつつも、あの発言やばかったよね、どうかしてるよね、と笑い話にしながら、川沿いを歩いた。一人であったら、こんな風に怒りをなめらかに笑い話にすることなんてとてもできない。三人と話しながら、一緒にいてくれてうれしい、と思った。
まだ陽は高く、気温もそれなりだったはずだが、狭い店で煙にいぶされた後ではぬるい空気も清々しかった。川は暗くよどんでいたが、それでもそばを歩くと気分が澄む。自然に川面に目が吸い寄せられる。物が動く時、人の心もまた動くものだとわたしは思っている。間断なく動き続けている、というのもよい。川の流れは、だいたいの場合、目の前でぷつりと止まったりしない。止まることのなそうなもの、少なくとも傍目には半永久的に見えるもののそばにいると、わたしは落ち着く。
もつ屋の暖簾をくぐると、接客の底辺を見た後だったので、笑顔でいらっしゃいませと言われるだけで感動してしまった。友だちのオススメのもつは絶品で、すっかりはしゃいで口が滑り、おしゃべりも弾んだ。
店は、手が空くと大将がギターでオリジナルソングを聞かせてくれるというのも売りのひとつで、まぁ一応聞いておくかとお願いしたら、これがいい曲ばかりで思いがけずじんとした。曲はすべて、その店のある野毛がいかにいい街か、大将が野毛のどんなところをどういう風に大事にしてきたかを、耳がすぐさま理解するような、純粋でまっすぐな愛の歌だった。
わたしたちの卓だけでなく、店中みんなが笑顔で手拍子をしていた。大将の老齢のお姉さんは、満面の笑みで厨房から飛び出してきて、大声で合いの手を入れていた。
わたしはひそかに、人が何かを大切に思う時の、切実な美しさに胸打たれていた。それを軽やかに歌というかたちにする、大将の慣れた手つきにも。

お腹も心も大満足の状態で友だちと駅まで歩き、別れ際、わたしは汗まみれの体で彼女を抱きしめた。抱きしめたかったからだ。それから笑って、手を振ってそれぞれ別の改札へ向かった。

好きなものは、思っているよりも簡単になくなってしまう。
競馬は、少子高齢化でこの先どんどん減収していくことが予想されていて、わたしがおばあちゃんになるまで続いていくのか、果たして分からない。わたしがおばあちゃんになるかも分からない。あの店もいつまであるか分からない。大将が歌えなくなる日も、必ずくる。
時とともに人は去り、店は潰れ、好いていたあの文化もあの娯楽も、衰退してかたちを失い、別の何かに変わる。本当に、心底残酷だと思う。
さらに残酷なことに、わたしは年を重ねるごとに、そういう類の喪失感をどんどん背負っていかなければならない。悲しみの負債は、たとえ大きな喜びがもたらされたとしても、決してチャラにはならないのだ。わたしはこの半年ちょっとの間でそのことに気付き、驚き、ひどく絶望したのだけど、もうそろそろ次の一歩を出さなければならないと思っている。かたちのあるものもないものも、いつかは分からないけどいつかすべて消えるけれど、生きている限り、悲しみは消えることがない。まずそのことを、受け入れなければならない。ひとたび悲しいと思ったら、もう一生悲しいのだ。そう思う頻度が時とともに低くなっていっても、悲しさの大きさや鮮度は、悲しいと思った瞬間のまま保存され続ける。忘れることなどできない。それでも生きていかなければならない。理由はない。生きている者は、生きなければならない。

わたしは生きるために、そして生きてもらうために、馬券を買い、もつを食い、歌を聞き、友だちを抱きしめる。いなくなるまで一緒にいてね、一緒にいてくれてありがとうね、と思いながら。
そんな程度の行為に、どれだけの意味があるのだろう、と思わないわけではない。でも、それ以外に一体何ができるというのだろう? 今のところわたしには、これしか思いつかないのだ。

愚直にやろうと思う。少しずつ歩いていこうと思う。大切なものに対して、臆病にならずにいたい。大切だという思いを、怯まずに伝えたい。なくしてしまったものを思いながら、勇気を持って何かを誰かを愛して、生きて、生きてもらいたい。

奇しくも(?)今日、岡村靖幸がライブ中にステージ上から「みんなのことが大好きだよ」というようなことを言うのを聞いた。少し涙が出た。言ってくれてありがとう、と思った。