母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20171115

時が経てば、悲しい気持ちは小さくなっていくと思っていたけど、悲しいと思う頻度が少しずつ減るだけで、悲しさの大きさは一切変わらないことを知った一年だった。
毎月、月の真ん中に赤いバラを生け、写真を眺めては、なぜこんなことをしているのだろう? と思った。本当は弔いたくなんてないのだ。会いたい。会って話したい。声が聞きたい。触りたい。それがいちばんの願いなのだ。今も。

一緒に行ったカフェ、すすめられたブランド、聞いた音楽、言われた言葉、もらったメールや手紙や、いいよねと言い合った宝塚のDVD。そこらじゅうにまみさんの気配があり、でもどこにも本人がいないということに、ずっと混乱し続けてきた。なぜ、という問いが胸の中に渦巻き続けている。誰かが知っているなら聞きたかった。なぜまみさんがここにいないのか。

こんなことは言ってはならないけれど、できることなら友だちや好きな人たちの中でいちばん先に死にたい、と考えるようになった。誰かが亡くなることにもう耐えられる気がしない。みんな、全員、一日でもわたしより長く生きてほしい。でも、これから年をとるにつれ、人との別れが増えていくことは避けられない。生きている以上、大切な人がいなくなる悲しさが次々に重石のようにのしかかってくるのだと思うと、生きることは地獄を這うようなものだと思う。

でも、この世に存在するあらゆる地獄から自由になる術を探して見つけて教えてくれたのが、雨宮まみという人の文章であり、人となりだった。何度も何度も、ああ生きてみるのも悪くないかもしれない、と思った。生きることの中にある苦しみを苦しみのまま投げ出さない、人生に対する誠実さを見た。今この場所でただ生きること、生きようとすることが、たぶん、雨宮まみという人を尊敬したわたしに唯一できることなのだと思う。

などという結論は、あまりにもありきたりで頼りない。しかし今は、どんな細い藁でも掴まずにいられない。掴める藁を少しずつ増やしていくことは、救いにはならないとしても、無意味ではないと思いたい。

死後の世界はない。まみさんはどこにもいない。前述の通りそれは痛いほど分かっているのに、それでも時折なぜか「元気でいるといいな」と思うことがある。やや偽善的だが、わたしはわたしに関わる人、関わった人たちには、みんな元気でいてほしいと思っている。友人や家族、それから疎遠になってしまった同級生にも、別れた恋人にも、この間新幹線の中でいないいないばぁをし合った知らない子どもにも。まみさんが元気でいるといいな、と思う時、わたしは自分が本当にまみさんのことが好きなのだと改めて知る。悲しみが決して消えないのと同様に、好きだという気持ちも消えることがない。ひたすらに悲しく淋しいが、わたしはこの人のことをずっと好きなのだ、と思えることを、幸福に思う瞬間も、確かにある。

わたしはまみさんが好きだ。悲しさとともに、その気持ちをずっと持ち歩いていきたい。それで何がどうなるわけではないけれど、それでも、わたしはまみさんを思い続ける。