母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

190918

給食当番の子どもがかぶるような帽子に、金のハイライトの入った明るい茶髪を押し込み、大きなマスクにエプロンといういでたちで、兄は病室に現れた。

もともと大きな頭は給食帽で余計に際立っているし、目の下まであげたマスクは、同じく大きな顔にはいかにも窮屈そうだ。薄手のエプロン越しに、フリーダ・カーロの顔がプリントされた派手なシャツが透けていた。


とう子ちゃん、大丈夫? と問い、心配というより戸惑いを浮かべた目で兄が小さな丸椅子に腰かけたところで、若い看護師さんがカーテンをくぐり、面会に関する書類を書くよう兄にバインダーを渡した。「ここにご本人のお名前をお書きください」と指された欄に兄はなぜか父の名前を書き、「あっ、やべ」と言って、「ぐちゃぐちゃってして書き直していいですか?」と訊いた。何となく正式な感じのする書類の訂正を、ぐちゃぐちゃで済ませていいわけがない。二重線で消して上の空白に書いてください、と指示された兄は、今度はわたしの名前を記入した。さすがにあきれた様子の看護師さんに「あの、お兄さんのお名前を書いていただきたいんですが……」と言われ、兄はちょっと恥ずかしそうにしながら、新しい紙ください、と言った。
兄は決して非常識なわけではない。緊張していたのだ。隣のベッドからは、ひっきりなしに「お父さん、頑張ってね」「お父さん、〇〇が来たよ、起きて」と意識不明の男性を励ます家族の声が聞こえていた。「お父さん」の娘と思しき女性が、呪文のように、歌のように、よくなるよくなるよくなるよ~と繰り返していた。

兄は口を開けたまま、隣のベッドとの境にさがる薄い緑色のカーテンを見ていた。考え事をする時、口を開けるのは幼い頃からの癖だ。兄は、今年34になる。


兄がポケットからスマホを取り出したのとほぼ同時に、先ほどの看護師がやってくる。書いた書類の控えを兄に渡し、あくまで愛想よく、携帯電話の電源は切ってください、と言った。そして「お兄さんは、北海道にご旅行に行かれてたんですよね?」と言った。「いや、仕事でした」「でも、自由がきく仕事なので」という兄のうそを、わたしはぼんやりと聞いた。


前日の深夜には命の危機は脱していて、北海道にいた兄も、福岡に住む両親も、別にはるばるやって来る必要はなくなっていた。兄が仕事の予定を無理に変え、朝一番の飛行機でやってきたのだと母から聞いたのは、退院してしばらく経ってからだった。

兄が何か言いかけた時、また看護師がやってきた。「中島さんが退院する時に着る服を用意していただきたいのですが、できますか?」と言う。兄はこの後、病院から仕事へ直行せねばならなかった。夕方には母が来ることになっていたが、生まれも育ちも田舎の母は、わたしの家へ行き必要な服をとってくることはおろか、ひとりで東京で買い物をすることなんてできない。「こちらに運ばれた時に着ていた服は、処分されてしまったんですか。白い、宇多田ヒカルのTシャツを着ていたと思うんですけど、胸に英語の書いてある……パンツはグレーのペイズリーの、ゆるっとしたイージーパンツで」と言うと、看護師さんは、枕元に置かれた紙袋をのぞいた。「柄のゆるゆるのズボンはありますけど、Tシャツはないですね、黒いタンクトップと、あと腹巻きはありますけど」と、薄く笑いながら、びよんびよんに伸び切ったわたしの愛用の腹巻きを見せてくれた。

看護師が出て行ったあと、「宇多田のTシャツ気に入ってたのに、捨てられちゃったのかなぁ」とこぼすと、兄は「勝手に服捨てるとかあんの?」と驚いた。「何か医療ドラマとかで、救急車の中で服切ったりすんじゃん」「えー、そんなことある?」「うーん、分かんない」と言うと、兄は急にうつむいて黙り込み、エビアンのボトルを手の中でくるくるしながら、「薬を飲んだ時のことは覚えてるの?」と言った。


精神科で処方された薬をたくさん飲むのは、ここのところ半ば癖のようになっていたが、生まれてこの方、死のうとか死にたいなんて考えたことは一度もなかったので、いちばん驚いていたのはわたしだった。

薬物の過剰摂取なんていうのはいわゆる自傷行為の中では遊びみたいなもので、ヤバそうな薬を100錠単位で飲んだりしない限り死ぬなんてまずありえないし、特に大きな健康被害もないと思っていた。いつもより早めに眠くなったり意識がふわふわするだけ。いろいろなことを考えるのが面倒になった時に、いっちょやってみっかと、飲み忘れてたまってしまった薬を飲んでいただけだった。その日も、何とはなしに薬をテーブルの上にあれこれと並べて、するすると飲んでベッドにもぐりこんだところまでは覚えているのだが、そこからの記憶がはっきりしない。雨で濡れたアパートの廊下に寝ていて寒かったこと、たまたま通りかかった隣人らしき男性が救急車を呼んでくれたこと、そのうち大勢の人がやってきて、てんやわんやして気付いたら病院にいたこと……と記憶がとびまくっている。でも、一生懸命頭を働かせたら、アパートの廊下で救急車を待つ間、誰かが濡れた肩から柔らかい布をかけてくれた感触を思い出した。宇多田のTシャツなんて着ていなかったのだった。


兄は、それ以上何も聞くことなく、最近自分の身の回りで起きた愉快な話や愉快でない話をした。非日常的な空気に慣れてきたのか、もともとの饒舌にエンジンがかかり始め、先日映画に関する仕事をしてどうこう、という話になった後、「俺、ディカプリオならまじ好きなんだけど、ディカプリオ以外よく分かんないんだよね」と言い出した。じゃあ、タランティーノの新作は観た? ブラピと共演してるやつ、と言うと、何それ? と首をかしげる。好きなんじゃないのか。「じゃあ、これまでの作品で何が好きなの」と訊くと、「何か世界がぐちゃぐちゃになるやつ」「インセプション?」「あと、熊殺して中に入るやつ」「レヴェナントだと思うけど、中に入るのは馬だよ。熊は襲ってくるんだよ」「あとは金持ちのやつ」「ウルフ・オブ・ウォールストリートかな、ドラッグとセックスばっかのやつじゃない?」「違う、金持ちが島にいてパーティーとかするやつ」わたしは華麗なるギャツビーをそんな風に形容する人間に初めて会った。これまで、もし金持ちになったら都心に広いマンションを買って遊んで暮らそうと思っていたが、兄の言葉を聞いたら、島に住んでパーティーをしてみたくなってしまった。わたしは作中、ギャツビーがデイジーに色とりどりのシャツを次々に投げるシーンがいちばん好きだ。それもやってみたい。実現可能かどうかは置いておくとして、具体的にしたみたいことが目の前に浮かんだ途端、急に心がほどけて明るくなった。好きな人に、自分が高い金で買ったきれいなものものを見せるなんて、何て切実でかっこ悪くていとおしい愛情表現なのだろう。わたしはこれまでそんな風にみっともなく、誰かに愛情を示そうと思ったことがあっただろうか? 手元にタンクトップとイージーパンツとだるだるの腹巻きしかないことが、心底悔やまれた。


仕事に向かう時間がきて兄は帰り、ほとんど入れ替わりで母がやってきた。

母は比較的冷静だった兄とは対照的に、わたしの顔を見るなりさめざめと泣いた。どうしてこんなことをしたの、お母さんの顔が思い浮かばなかったの? わたしもうこんなことごめんだから精神病院に入院するか福岡に帰ってきて一緒に住んで、と早口で言った。せっかくお兄ちゃんと話して楽しい気分になれたのに、と思った。
精神的に健康でない自分に「自分は今こういう状況にあり、こう感じてこう考えているからこうしたくてこうしました」なんてことが分かっているわけがないし、まして説明なんてできるわけがない。大嫌いなくそ田舎を出て憧れの東京に出てきて何とかかんとか10年やってきたのに、今更福岡に住むくらいならそれこそ死にたかった。わたしは母の言葉をことごとく無視した。すると母は身を乗り出してわたしの顔を覗き込み、再度「お母さんの顔が思い浮かばなかったの?」と訊いた。「何で思い浮かぶと思うの?」と言うと、うっ、とうめいて顔を覆い、声を出さず泣いた。


退院して家に戻ると、大勢の人が踏み入ったせいで部屋はぐちゃぐちゃになっていて、覚えのない吐しゃ物がそこここに小さな池をつくっていた。病院で寝たきりだったせいでがくがくと震える体で、汚れたシーツをはぎとり、洗濯機へ放り込み、裸のマットレスに倒れこんで目を閉じた。ナースコールとうめき声と泣き声がひっきりなしに聞こえたせいで、耳の中でずっと誰かが話している声が聞こえていた。それはなぜか、いらっしゃいませこんにちはー、少々お待ちくださーいという若い女の声だった。まだラリってるのかな、と思った。ふと脚を見るとこれまた覚えのない大きな痣が数えきれないほどできていて、真っ黒の太いすね毛がチンアナゴのように毛穴から次々と伸びてきているところだった。やっぱりまだ薬が体にあるのだ、と思いながら、吐しゃ物を片付けなければ、と目をやると、ソファに座った母が背中を丸め、小さな声で、一生懸命育てたのに、言った。
翌日の便で母とふたりで福岡へ帰るために、父が泉岳寺にホテルをとってくれていたが、Twitterを見たら例の事故で電車が止まっていた。テレビをつけ、「ひどい事故で電車止まってるよ」と言うと母はパニックになり、どうすればいいの? 中央線なら行けるの? いつになったら動くの? 明日帰れるの? と言う。「ここにも泉岳寺にも中央線なんて通ってないよ」と答えると、急激に頭が痛くなってきた。「体調が悪いから今日は動けない。とりあえず駅に行ってどうすればいいか駅員に聞いてみて。何日かしたらわたしも追いかけて帰るから」と伝えて、頭痛薬を飲み横になった。当然母は渋り、押し問答になったが、ひどく具合が悪そうなわたしの姿を見て、分かったから絶対に帰ってきてね、約束してね、と言って荷物をまとめた。母は脚が悪く10分以上は歩けない。最寄り駅までの道のりは12分だ。わたしのアパートは郊外にあり、タクシーなど通らないので、頭痛をこらえて電話をした。5分くらいでアパートの前に来るから、と母に伝えると、「アパートの前ってどこ? どこで待ってればいいの?」と困った顔をする。前述の通り足腰が弱っていたため階段をくだるのも一苦労だったが、手すりに体を預け、ぜえぜえと息をし、汗だくになって一緒に待った。
タクシーは本当に5分ほどで来た。「〇〇駅までって言うんだよ」と声をかけると、母はうん、と生返事をして、近づいてくる「迎車」のタクシーを見ながら、「救急車の人って、クーラーも電気も消してくれないんだね」と言った。来た道を引き返して行くタクシーを見ながら、わたしは絶対に福岡には帰らないと決めた。