母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20191208

始発を待つホームで震えながら缶のコーンポタージュを買い、両手で包み込んで振り、頬にそっと当ててから飲んだ。缶の熱さに比べると中身は生温かい。案の定粒はほとんど出てこなかった。友人に、美味しかったよ、と言うと彼も同じものを買い、「意外とぬるいね」と同じようなことを言った。

ちょうど缶を捨てた時、さっきまでうしろのいすでいびきをかいて寝ていたインド系と思しき中年男性に、いきなり大声で何か言われた。思わず身をすくめたが友人が何度か「ホワッツ?」と訊き返すと「5時3分?」と言っているのが分かった。「ゴートゥーシナガワ、5時3分?」始発の時間を確認していたのだった。そうですよ、と答えると、「ありがと、サンキュー」と言いまた目を閉じた。5時3分まであと10分はあった。

やっとやってきた始発に乗り込むと、1歳くらいの子どもをベビーカーにのせた外国人の夫婦がいた。先ほどの中年男性が向かいの席に座り、子どもに向かい大きな声で「グッモーニン!」と笑いかける。空いた車内に響き渡る声に何となく気まずい空気が流れたが、男性はそれを無視しグッモーニンを繰り返す。外国人夫婦は困ったような顔で、首を振った。男性はグッモーニンをあきらめ、最後にひとつ子どもににっこりとしてから、目を閉じた。ほどなくして子どもが泣き始めた。

乗り慣れない京急の駅名は目に珍しいものばかりで、止まるたびに駅の表示を見た。立会川。鮫洲。青物横丁。新馬場。どこも面白い由来がありそうだが、疲れが勝り調べる気力は湧かなかった。これから仕事で大阪へ向かうという友人は、ぼんやりとした顔で正面を見続けている。俺、眠そう?と訊かれたので、「眠そうじゃないけど、この人寝てないなって感じの顔」と答えると、ヤバイなぁ、とつぶやいて膝にのせていたリュックにくまのできた顔をうずめた。

今年はおかしな年だった。無職になったり、離婚したり、救急車に乗ったり、引っ越したり、また無職になったり、文字にすると何だか壮絶だったような気がするのだが、たいていの日は凪いでいた。凪いでいた、とか言うと何かかっこいいが、ずっとだらだらしていて、案外平和だったのだ。起きる、ご飯を食べる、テレビを見る、寝る、ご飯を食べる、Twitterをする、風呂に浸かる、寝る。そういう日の次の日に離婚が成立したり、そういう日の夜に気が付いたら病院にいたりした。少しずつ何かが変化していって大きなできごとが起こるというより、だらだらの日々のアクセントのようにぽつ、ぽつ、と突然向こうからそれらがやってくるような感じだった。全て自分で招いたことで、考えればその結果にたどり着くことは分かりきっているのに、全部が思いがけないサプライズのようだった。わぁ、と驚きはしたがその感触はすぐ忘れてしまった。友人たちには、今年は大変だったねと労いの言葉をたくさんもらい、そのたびに心からありがたいと思ったが、その反面、そんなに大変だったかな、と思いもした。要は何も考えていなかったのだ。今年は、真剣に生きることを放棄していた。色々なことがあったのに、何もない年だったなぁ、とさえ思う。実際たいてい寝ていたのだが、ずっと眠っていたようだった。たくさんの人たちに不義理をし、迷惑をかけ、人生を休んでいた。31歳だ。相変わらず無職で、金はない。人の金で毎日暮らしている。

品川駅で友達と吉野家に入り、肉鮭定食を頼んだ。糖質制限中なので、久しぶりに白米を食べたが、こんな味だったかな、という感じだった。いま白米食べたら死ぬほど美味いんだろうなと思っていたので、こんなものか、と思った。友人が、同じ肉鮭定食を食べながら、唐突に「とう子ちゃんていま何歳だっけ」と言った。「31。今月の20日で32だよ」「え、今日じゃん」「はちにちじゃないよ、にじゅうにちだよ」「何だ」店を出た後、友人は、卵つけなくてもよかったわ、と言った。

品川駅に戻ろうとすると、スーツ姿の若い男女がぞろぞろと駅に向かうところだった。日曜だし、出社するにしてもまだ早い。「この人たちどこから来たの?今からどこ行くの?」と友人に訊くと「忘年会だよ」と言う。会社から離れて久しいのでそんなイベントのことはすっかり忘れていた。「新卒だから同期のみんなで盛り上がっちゃって三次会でカラオケオールとかしたんじゃないの」と吐き捨てるように言う。そんな経験があったのだろう。わたしにはなかった。

新幹線に乗る彼と別れ、山手線に乗り、買ったばかりの本を開いた。眠っている隣の女の子に寄りかかられながら、肩をすぼめて読みふけっていると、降りるべき駅をとうに過ぎていた。乗り換え案内でどこの駅なら乗り継ぎができるか調べ直し、また本を読みだす。あ、と思い顔を上げるとまたその駅を通り過ぎていた。あきらめて適当な駅で降りようと思い本を読んだ。そのうち夜が明け、疲れた夜の顔をひきずる人とさわやかな朝の顔をした人をまぜこぜに乗せた車両にさっと陽が差し込んできた。わたしは本を閉じて顔を上げた。ビルの隙間からのぼってくる太陽が見えた。

きれいだなぁ、と口に出しかけてはっと口を閉じた。今年はほとんど夜遊びをしなかったが、自分がクラブやライブハウスで朝まで遊んだ帰り道、空が明るくなる瞬間を見るのが好きだったことを思い出した。少しだけ何かが動いた感触があった。家から出て、好きな人たちに会って、夜が明けるまで踊って、電車に乗って、本を読んで、歩いて帰ろう。そういう日々を送ろう、とものすごく久しぶりに思った。

長い長い山手線の旅を経て最寄駅に着くと、もうすっかり朝だった。コートのボタンをしめ、人通りのない道を家に向かい歩いた。家に着いたら、まだ書かずにおいていた、親友への誕生日の手紙を書こうと思いながら帰った。