母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20141219

さっき風呂に浸かっていて、特にすることもないので数を数えていたら、なぜか突然、母がわたしの中谷美紀のモノマネが好きだったことを思い出した。

 
『JIN-仁-』というドラマで、中谷美紀演じる花魁が、思いを寄せる大沢たかおに別れを告げるシーンでの「おさらばえぇ〜」というセリフの真似なのだが、全然似ていないし、もちろん面白くもない。しかし母は見るたびにコロコロと笑い、何度もリクエストしてきた。
 
今調べてみたら、ドラマが放送されていたのはわたしが上京して実家を出た後のことだった。つまり盆か正月の帰省の短い間に、何度も同じモノマネをやったということだ。いったいあれの何が琴線に触れたのか。
 
他にも母のお気に入りのモノマネがあった。『北の国から』の純くんが、北海道に引っ越して、新しい家に電気が通っていないことを五郎さんから聞かされ「電気がないぃ!?」と大げさに驚くところの真似だ。
母にそれがハマったのはわたしが高校生の時だったと思う。あまりにウケるので一度友人の前で披露したが、当然全く笑ってもらえなかった。
 
風呂の中、色々な記憶が芋づる式に、しかし脈絡なく蘇る。
 
中学生の時に、幼稚園の連絡ノートを読み返したら、母が先生に「とう子はモスラの歌を歌えるようになりました。今度リクエストしてみてください」と書いていて、それに対して先生が「なかなか歌おうとしてくれませんでしたが、照れながら歌ってくれました」と返していたページがあった。
 
幼稚園の先生の前でモスラの歌を歌った時のことを、中学生の時分には既に忘れていたし、今も思い出せないままだが、体を洗いながら試しにモスラの歌を歌ってみたら、そらで終わりまでちゃんと歌えた。
 
と、思って今歌詞を調べてみたら、後半がだいぶ間違っていた。
正しい歌詞で歌ってみたら、すごく変な感じがしたので、たぶん当時から間違えて覚えていたのではないかと思う。
 
モスラの、首がくるくる回るソフビ人形を持っていたことを、今思い出した。かわいらしくデフォルメされた指人形も持っていた。ミニラやゴジラのもあった。
どうして忘れていたんだろうと思うくらい、忘れていることがたくさんある。間違って覚えていることもたくさんありそうな気がする。
 
昔付き合っていた人の誕生日に、おめでとうとメールを送ったら、朝陽が昇り始める頃にお礼のメールがきて、「このくらいの時間に生まれました」と書いてあったことがあった。
 
メールを読み終えて窓を開けると、五月晴れの雲ひとつない空が朝陽で一面パーッと白く明るくなっていくところで、めちゃくちゃに感激してしまった。わたしはその人のことを好きになって、パーッと明るい気持ちになることがたくさんあったので、何てよくできた話なんだと思ったのだ。
 
わたしが生まれたのは深夜の2時ごろだという。だからというわけじゃないが、冬の深夜はとても好きだ。
 
今、表からは、そろそろ始まる深夜工事の準備をする人たちの声が聞こえている。電車の走る音もする。わたしは起きたら27歳になっている。