母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20201218

仙台へ向かう新幹線の中、窓の外を流れる景色をずっと見ていた。田畑と街とが繰り返される。はかったように同じ高さの民家が並ぶ地帯にさしかかると、空が開けて遠くの山々が目に入る。山は頂きに前日の雪をかぶっており、その上にはさらに不穏な雲が浮かんでいた。また雪になるのだろうか。


そんなことを思っているうち、次第に空はとりどりの建物に遮られ始め、街並みは賑わいを見せてきた。車のディーラー、部品屋、大型スーパー、ドラッグストア。マクドナルドをはじめとしたファストフード店ファミリーレストランが立ち並ぶ。どこかふるさとに似た景色だ。日本中のどこにでもある、地方都市の街並み。


窓をすべっていくそれらを見送っていると、ラブホテル街にさしかかった。看板は褪せて文字が読みにくくなっている。何とか読み取ろうとしたら、ラブホテルの隣に葬儀場が建っているのが見えた。

二枚重ね着したヒートテックのインナー、ヒートテックレギンスにヒートテックソックス、と内側を完全防備した上、持っている中でいちばん厚いセーターを着たので車中は暑かった。血行がよくなったせいで太ももがかゆくてむずむずした。


仙台へ向かったのはceroのライブのためだった。コロナの影響もあり今年はceroのライブに行けなかったため、思い切って遠征することにしたのだ。

仙台に着くなり、駅で牛タンの駅弁を買う。ホテルにチェックインして、ビジネスホテル特有の狭い机でもそもそとそれを食べた。


ライブハウスの床は、一人分のスペースが白いテープで区切られており、パイプ椅子がその真ん中に据えてあるという形式。席数は密を防ぐため数えられるくらいに抑えられていた。

四角に区切られた床でしか踊れなかった時のことを、いつかあんなこともあったねと言えるのだろうか。ライブ中、ふと足元を見ると不安で胸がふさぎ、足が止まりかけたので、ひたすらステージを見た。ライブは、その素晴らしさを語る言葉を持たないのが恥ずかしいほどによかった。


ライブハウスからの帰り道、世界は大きく様変わりしてしまったが、好きな音楽と、好きな音楽を求める心は全く変わっていないことを改めて思った。ステージのライトが希望の灯火みたいだった。目の前で繰り広げられる演奏、しびれるような音楽体験。曲目は知っているはずなのに、それはいつでも新しく胸に響く。ceroの音楽は聞くたびに新しく変化しているのに、ceroという存在は自分を待ってくれているふるさとのようだと思った。ここに戻ってくればあたたかな幸福に包まれるという安心感があった。


ふるさとと言えば、誕生日に親友からもらった手紙に、わたしの顔を見るとほっとする、というありがたい言葉とともに、こんなことが書いてあった。

「人の故郷とかふるさとって、実際に生まれた街や、そもそも場所ではなくて、人との関係の中にあると思う」

わたしもまさにそうだと思う。


わたしの「ふるさと」は、あちこちにある。心はどこにでも帰ることができる。足を運んだり実際に会ったりという体験はもちろん鮮やかだが、たとえそうできないとしても、「ふるさと」は確かに存在する。その事実がわたしを支えてくれることに気付いた。

今年は思うようにいかない現実に揺さぶられながら過ごしてきたが、会えなくても、行けなくても、わたしは大丈夫なんだと思った。


ホテルでジャイアントコーンを食べ、テレビのチャンネルをパチパチと回し、見るでもなく見てから、風呂に入り横になった。ライブの興奮のせいか、枕の硬さのせいか、眠りは一向にやってこなかった。東京へ戻ったら真っ先に自分のベッドでたっぷりと寝ようと思い、目だけを閉じた。