母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20150712

お台場に行くのはライヴの時くらいだが、行く度に「ここは人工的につくられた街だ」というようなことを思う。

多分、埋立地だから、というものすごく安直な理由からなのだと思うけど、そんなことを言ったら埋立地なんて他にもたくさんあるし、そもそも人の手によってつくられていない街など存在しない。普段何気なく「自然」と呼んでいる山や川だって、人の手によって長い年月をかけてかたちを変えられ続けて、今ある状態になっている。

 

そういうことは百も承知なのだけど、お台場に行くと、本当は海だったはずの場所に自分が立っていることが、不思議で仕方なくなる。もっと言うと、正しいことなのかよく分からなくなる。現実感が揺らいで、すれ違う家族や恋人たちが、幽霊みたいに見えることもある。

 

昨日、ceroのライヴの開演を待つ間、ファーストフード店の窓際の席で本を読みながらふと観覧車を見上げると、ちょうどひとつのゴンドラの中で、若い男が女の頭を自分の肩へと抱き寄せているところだった。

観覧車の中で肩を寄せ合う男女なんて映画の中でしか見たことがないのに、と思ったら、ますます目にうつるものがうそのように見えて、落ち着かない気分になった。

 

お台場が自分にとってそういう風に、現実とそうでないものの境を曖昧にする場所だからか、昨日のceroのライヴの間中、頭の中には境が曖昧な物事が、脈絡なく浮かび続けていた。

 

ある曲を聞いている時、わたしはふと「おじいちゃん元気かな」と思った。

そう思ってから自分でも驚いたけれど、祖父はとっくに亡くなっている。

でも、ものすごく自然に、「おじいちゃん元気かな」と思ったし、「元気かもしれないな」とまで思った。お台場という場が生と死の境を曖昧にしたのかもしれないし、ceroの音楽がそうさせたのかもしれない。あるいは、わたしが祖父の葬儀に出なかったせいかもしれない、とも思った。

 

訃報を受けた時、わたしには遠方である祖父のもとまで行く交通費を、どうしても捻出することができなかった。当時の恋人に相談すると、「本当に行きたいなら俺が貸すよ。でも行きたくないんでしょ?」と言われた。

その通りだった。祖父の遺体を見るのが怖くて仕方なかったのだ。あの大きな体がもう動かないという現実を、目の当たりにする勇気が出なかった。

 

小さい頃、わたしは「多い」と「大きい」の概念の違いをうまく理解できなかった。

ある年の夏休み、教師だった祖父は、わたしの国語の宿題を見ながらその間違いを指摘し、問題集の余白に小さな円をたくさん、そしてその隣に大きな円をひとつ描いた。

「これが『多い』、これが『大きい』」

ずっとごちゃごちゃになっていたことがすっきりと整理された気持ちよさと、「おおい」と「おおきい」が永久に切り分けられてしまった淋しさを、ceroの曲を聞きながら、それに胸打たれながら、なぜか思い出していた。

 

病床の祖父の為に大きなサイズのパジャマを買って送ってほしい、と母に頼まれて、池袋のサカゼンに行ったことも思い出した。祖父は昔の人にしては、体が大きい人だった。サカゼンで、わたしに初めて「大きい」を教えてくれたのが祖父だったことを思い出したかどうかは、覚えていない。

 

死んだ祖父がどこかで元気でいるといいな、と思い、それにつられるように、二ヶ月ほど前にもう会えなくなってしまった大切な友人のことを思い出し、元気でいるといいな、と思った。その友人は生きている。でももう二度と会えない。わたしはそのことが本当のことなのかどうか、まだよく理解できていない。

 

お台場に向かう途中、乗り換え駅で同じ職場の人とすれ違った。

向こうは気付かなかったので声を掛けることはしなかったが、職場からもその人の住む街からもわたしが住む街からも遠く離れた駅ですれ違うなんて、と驚いた。

 

大した縁もない人とだってそんなことが普通に起こるのに、お互いを大切に思っているわたしたちが死ぬまで会えないなんて、何かの間違いじゃないだろうかと思った。

最後の日の別れ際、「淋しい?」と訊ねたら、彼は「まだよく分からない」と答えた。わたしもまだよく分からないでいる。自分に、心から信頼し尊敬し心の全てを打ち明けられる他人がいたなんて、全部まぼろしだったんじゃないかとも思う。

 

そうやって色々なことを考えているうちに、本当にあったことと、本当にあったのだと自分が思い込んでいるだけかもしれないこととの違いが、どんどん分からなくなっていった。でもそれは、決して嫌な気分ではなかった。

時間も記憶も命も人とのつながりもみんな、本当は不確かで曖昧ではっきりとした境などない、ということの面白さとその果てしなさに、胸が躍っていた。

ceroの音楽を聞いている時以上に、そういうことを強く感じる瞬間はない。

これが適切な楽しみ方なのか分からないが、適切な楽しみ方などないということも分かっている。

 

帰り道、ゆりかもめの車窓から、きらきら光る、たくさんの大きい建物を見た。

乗り慣れていないせいか、ゆりかもめが自分をどこに運んでいるかよく分からなかった。乗り物に乗っている時の、そういう無防備な身体の状態が、ものすごく苦手でものすごく好きだ。

車窓には、痩せて以前より頬骨の高くなった自分の顔が映っていた。汗と涙で、化粧はすっかりはげていた。

 

祖父と友人に会って、ceroのライヴがどんなに素晴らしかったか、その音楽がわたしに何を考えさせたかを全部話したいと思った。いつかどこかで話せるんじゃないか、とも思った。