母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20190309

最近、ふとしたことから、10代から20代にかけて割と長く付き合っていた元彼氏の奥さんのTwitterアカウントを見つけてしまって、よくないと思いつつ時々見ている。いや、よくなくないのかもしれないけど、気持ち悪いのは間違いない。わたしだったら間違いなくひく。だって彼と別れてから、もう10年くらい経つし、向こうには子どもだっている。

奥さんとは3年くらい前に一度顔を合わせたことがある。遊びに行ったイベント会場にたまたま元彼氏と奥さんも来ていて、ご丁寧に元彼氏が紹介してくれたのだ。大学の後輩の中島です、と言うと、元彼氏が遮るように「とう子ちゃんのことは話してるから」と言った。何を? どんな風に? と思うと顔がひきつった。奥さんも居心地が悪そうにしていた。


彼女のつぶやきは、得意な料理のことと、息子の育児のこと。わたしはドキドキしながらスマホの画面をスクロールしたけど、途中でやめてしまった。退屈だったのだ。あまりにも平凡で、ありきたりなつぶやき。わたしはがっかりしていた。君の個性的で変わったところが好きだと言っていた人が、どこにでもいそうな良妻賢母タイプの女性と結婚している。彼の求めていた個性とは何だったのか? 彼に飽きられないよう、本当は平凡だとバレないよう、背伸びをしていた自分の努力は何だったのか。

そして何より、敗北感でいっぱいだった。わたしは結婚に失敗し、子どもを産む気も全くなく、家事もできない。もしそうでなかったら、わたしも選ばれていたのだろうか? 良妻でも賢母でもないわたしは、この先も誰にも選ばれないかもしれないと思うと、絶望的な気分になった。

でも同時に、優越感のようなものも抱いていた。ふたりが普通の結婚をして普通の幸せの中に身を置いている間、わたしはひとりで山ほど楽しいことをした。たくさんの男の子と遊んだし、朝まで踊って、きれいなものを見に行って、好きなバンドを追いかけた。夏のはじめに映画館で朝を迎えて、伸びをしながら、カラスと仕事終わりのホストしかいない道を歩いて、マクドナルドで朝ごはんを買い、遠回りをして、ぱりっとした青い空と冷たい空気を、自分だけのものみたいに吸い込んで歩いて帰った。そういうわたしだけの朝や夜を大切に積み重ねた。ひとりで、誰にも気兼ねせず。そんなことあなたたちはしてこなかったでしょう? わたしはたくさん失敗もしたけど、山あり谷ありでおかしい人生を送っていると思う。あなたたちはどう?


そんな風にけちをつけて、つまらないとか何とか言いながら、何だかんだTwitterを時々覗き見ることは続けていたのだが(気持ち悪い)、今日、奥さんがブログを更新したというつぶやきをしているのを見つけたので、ふうんブログやってるのね、と読んでみた。育児に悩んでいるという内容だった。

息子が感じやすい子で、いつもスムーズに保育園に行けないこと。よくギャン泣きしてしまうこと。余裕を持てず彼をついつい怒ってしまうこと。多忙な夫にいつも頼れるわけではなく心細いこと……言葉の端々から、なぜ自分がありのままの息子を受け入れてあげられないのか、子育てに自信を持てないのか、思慮を重ねに重ねた跡が見てとれた。

読み終わった時、良妻賢母というレッテルははがれていた。飾り気がなく、しかし丁寧な文章から、葛藤や愛や自責の念や苦しみのひとつひとつが、生々しく伝わってきた。真摯に息子をまなざす様が、目に浮かんだ。この人は平凡ではない。彼女固有の感情を持つ、血の通った、この世にたったひとりの人間だ、という当たり前のことに気が付いた。


そしてわたしは、自分が無意識のうちに、結婚し家庭を持っている女性は平凡でつまらない、自由に生きる独身の女性は面白い、という安直な二元論をとっていることにも気付かされた。普段自分を苦しめている分断は、自分自身がつくっていたのだ。女性の生き方を規定する社会の声に常に怒りを覚えつつ、自分の内部にある強い固定概念には全く気付いていなかった。バカすぎて、恥ずかしい。穴があったら入りたかった。

人生が面白いとかつまらないとか言うのも、くだらないことだなと思う。そんなことは誰にも決められないし、連なっていく日々の営みの前では重要ではない。


わたしが彼と結ばれなかったのはほとんど縁とか運とかそういうもののせいだと思うけど、何か自分に原因があるとしたら、ものやひとを偏見で色分けしたり決めつけたりしてすぐに優劣をつける浅はかさと傲慢さではないかと思った。そして彼の奥さんの素敵なところは、まっさらな気持ちで自分と向き合い、それを言葉にできる素直で誠実なところなのではないかとも。(これもやっぱり決めつけに近い想像なのだけど。)


元彼氏が素敵な女性と結婚したことを、うれしく思う。何かこう、人生に運命の巡り合わせみたいなものがあって、もしもわたしと出会ってなかったら奥さんと出会って結婚してなかったみたいなスピリチュアルな可能性があるとしたら、彼と出会って別れてよかったなと思う。ナイスアシストわたし、と思う。そう考えたら、やっと呪縛から解放された気になった。15歳の時に出会って、それから別れて何年も経つまでずっと彼のことが好きで、彼と結ばれなかったことが、恋愛の大きな失敗体験として今の今まで心に残っていたけれど、もう失敗したと思うのはやめよう、と思った。意味はあったのだから。今がいいのだから。

彼と会う機会はともかく、さすがにもう奥さんと会うことはないと思うけど、心の中でとても尊敬しているし、ふたりの息子が元気よく保育園に行けるといいなと思う。気持ち悪いかもしれないけど。わたしも元気よく会社に行けるように、その前に行く会社が見つかるように、頑張らなければならない。みんな、幸せでいてほしい。幸せでいよう。