20141219
さっき風呂に浸かっていて、特にすることもないので数を数えていたら、なぜか突然、母がわたしの中谷美紀のモノマネが好きだったことを思い出した。
20141121
20141108
20141007
夏と同じゆで時間では卵が十分にかたくならなくなり、秋がきたんだと気付く。殻をめくって剥がすたびに、手の上で卵がたゆんたゆんしてまるで生き物みたいだと思った。卵は無精卵でも生き物の部類に入るのかちょっと考えてみたけど分からなかったので後でググる。
そういえば昨夜友達と飲んでる時、何か精子に関する話をした気がする。そのあと、全く違う文脈で富岡製糸場の話になり、今ではもう会わなくなった富岡生まれの友達が昔、「小学生の時、富岡製糸場で写生大会をした」と話すのを聞いて、嘘か本当か分からないけどめちゃくちゃ笑ったことがあったのを思い出した。その話を、その時飲んでた友達にも聞かせたかったけど、静かなバーに客はわたしたちだけという状況だったので一応我慢した。店を出たら言おうと思っていたのに、結局忘れてしまった。
昨夜は友達の誕生日祝いだった。
おめでたい気分のせいか、さほど飲んでいないのに割りかし酔ってしまい、いつにもまして自分のことばかりしゃべったような気がする。
今朝目を覚ました頃には、話の内容や細かい言い回しの記憶はすでに断片的になり始めていて、楽しかったという、おおざっぱで素朴な感触だけがぽつんと残っていた。
バーを出た後、くだんの足に合っていない靴で、新宿の街をひょこひょこと歩いた。
夜中の1時だというのに、街にはまだたくさん人がいて、信号を待ちながら友達と、すごいねぇと言い交わした。「眠らない街、新宿!」と思ったし、もしかしたら実際口にも出したかもしれない。
わたしの生まれ育った街は、22時には眠る街だった。その時間を過ぎると外を歩くのは不良か夜から働きに出る人か野生の動物くらいになり、信号はみんな赤か黄色の点滅信号に切り替えられた。街灯もなく、夜道を歩く時は、必ず懐中電灯を持たねばならなかった。
東京に出てきて、「眠らない街」というのは、本当にあるんだと心底驚いた。比喩みたいなものかと思っていたけどただの事実だった。いまだに夜、街に出るたびに、人がたくさんいて明るいというただそれだけのことに、わたしはバカみたいに驚き続けている。
新宿五丁目の交差点がたまらなく好きだ。でかくてかっこいい。タクシーが次々に乱暴に走り過ぎていくのを見るのが好きだ。
半袖のニットから出た、酒で火照った腕に友達のコートの生地があたって、それがひんやりしていることにも驚いた。今年も夏があったということがもう嘘みたいに思えた。
20140930
20140929
最近腰が痛いのは、新しく買った靴が足に合っていないからかもしれない。
年々、店で服や靴を買うのが苦手になり、最近は身に付けるものは、もっぱらネット通販で買っている。たいていの既成服はS・M・Lとおおざっぱなサイズでつくられているし、標準的な体型の自分はMを買っておけば大きな失敗をすることはない。微妙なフィット感の違いが見え方を大きく左右するような、繊細なつくりの服を求めないようにしているのもある。
しかし靴に関してはそうはいかず、わたしはこの半年の間で、ネットで買った靴を3度も返品した。3度とも、まるで足が入らなかったのだ。最近買って履いている靴も、一応入るには入ったがどうにも窮屈で、ストレッチに出して何とか履いている。正しいサイズを買っているはずなのになぜだろうと、ずっと不思議でならなかった。
最近になって、靴には23㎝とか23.5㎝といった縦のサイズはまた別に、足の横幅に関する「ワイズ」という基準があることを、恥ずかしながらようやく知った。
ネットで探した基準表を見ながら、家にあったメジャーで測ったところ、わたしの足のワイズはAからEEEまである内のEという、比較的広めのものであることが分かった。縦のサイズが22.5㎝と23㎝の間くらいであることを考えると、縦に対して横がやや広い足をしているようだ。
ワイズを知ってから自分の足を見ると、確かに前方にずんぐりとした存在感があり、それがかかとへ向けて拍子抜けするくらいすぼまった、妙なすがたをしていた。それまで足は足だと思っていたから、人の体というのはこんなところまで一人一人違った厄介なつくりになっているということに、うんざりしつつも少し感動したりした。
そうして自分の足を見ていたらふいに、小学3年か4年の夏休みに祖父母の家のソファで寝転がっている時、近付いてきた祖父に突然足をつかまれ、「とう子は足が大きいな、きっとこれから背が伸びるな」と言われたことがあったのを思い出した。
当時のわたしは背の順で先頭以外に立ったことがないほど小柄だったので、祖父の言葉はにわかには信じがたかったが、おじいちゃんがそう言うなら、と少し希望を抱いたのも覚えている。いつも声が大きく堂々としてちょっと不遜で、威厳というには少し荒々しいが不快でない、妙な圧を持った人だった。田舎によくいるタイプのおじいちゃんだったとも言える。
祖父の言葉の後、ほどなくして成長期を迎えたわたしは祖父の先見の明に感激したのもつかの間、身長の伸びはあっけないほどすぐ止まり、今では大きくも小さくもない、普通の体つきになった。
今、足を見ていると、祖父がこの前方のずんぐり部分に、何かのエネルギーのたまりのようなものを感じたのも、分からなくはない気がしてくる。あるいは全然そんなことはなくて、単にこの足のあまりの不恰好さに、何かでまかせの慰めを言ってやりたくなったのかもしれない。祖父が死んでしまった今では確かめようはない。
窮屈な靴で、重だるい足腰をひきずりだらだらと駅の改札を通って地上に上がると、木のにおいが鼻をかすめた。においをたどると、工事現場に整然と積まれた木材に行きついた。ぱかぱかと規則的に光っては消える毒々しいほど赤い照明に目を細めながら、これから何になるのか分からないその木材をしばらくぼんやり眺めて、家へ帰った。