母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20150803

元々胃が悪いので、時間がある時に軽く検査にでも行っておこう、と気まぐれに赴いた消化器科で腸にできものが見つかって、今月の終わりに手術をすることになった。

今日、その手術の前の検査をしに、再度病院へ行った。

 

正直、めちゃくちゃ怖かった。

わたしは自分が生にそれほど強い執着を持っている方だと思っていなかったし、死ぬなら死ぬで別にいいや、という気分で生きているつもりだったが、ただのポリープかもしれないし悪性腫瘍かもしれない、それはとってみないと分からない、と面と向かって言われ、できものの現在の状態や術式や手術前後の注意点なんかを細かく聞いているうちに、自分がかなり動揺していることに気が付いた。

先日受診した際は「林家木久扇に似てるなぁ」としか思わなかった医者の細かい言動がいちいち気に障り、壁に飾られた気取った油絵にまで苛立ち、それまでまるで抱いていなかった医者への不信感が突然胸に湧き上がって、口を聞きたくないほど嫌な気分になってしまった。

今思えば気が動転していたとしか思えないが、わたしは説明を聞き終え、「別にわたしは死んでもいいので手術はしたくないです」と言った。

医者は一瞬目を丸くしたが、すぐに表情を戻して言った。

「手術の前は、いろんなケースを想定して、様々な可能性についてお伝えしなければならないんです。驚かれたと思いますが、あくまで可能性の話です。正直やってみないと、これが何なのかも、術後どれくらい体に影響が出るかも分かりません。でも最善を尽くしますから、とりあえず落ち着いてください」

その言葉は何の慰めにもならなかった。依然として恐怖が心の全てを占めていた。

みんなにこういうことを言っているに決まっている、信じられるか、と思った。わたしは大人気なくも医者につんけんした態度をとり、足早に病院を去った。

 

帰り道、手にしていた処方箋を取り落して、それを拾う為にしゃがみこんだら、そのまま立てなくなった。

手術まじだるい、せっかくの夏休みの計画が台無しだ、死ぬの怖い、新しい会社でちゃんと働けないかも、せめて会えなくなった友人に一目会いたい、海が見たい、星野源が好きだ、昨日のマルチネのイベント楽しかった、お腹が空いた。

頭の中をいろんな感情が脈絡なく巡って、混ざり合って、涙がこぼれた。

 

帰りの電車の中で友人に「手術したくない」とメールをした。

やけくそなひどい文章だったが、彼は丁寧に優しい言葉を返してくれた。

しばらくやりとりをしていると、まさにメールをしているその最中、彼にも嫌な出来事が起こったという報せがあった。

それを見たら、ついさっきまで頭のてっぺんからつま先まで、全身を不安で満たしていた手術のことが、頭からぱーんと消え、自分が彼に何を言えるのかしか考えたくなくなった。

 

友人とは19歳からの付き合いで、何年か前に、わたしの軽率な言動が原因で関係が崩れかけたことがあったが、彼の寛容さによって、何とか今日まで良い関係を保ってくることができた。そしてこの9年の間、わたしは彼に何度も救われてきた。

どんなに相手を大切に思っていても、傷つけたり傷つけられたりすることはある。

わたしはそういう状況に直面する度に、常に関係を断絶して逃げることを選んできて、壊れかけた関係を修復したことも、そうしようと努力したことも、それまで一度もなかった。

 

わたしは持てる限りの拙い言葉を彼に送った。

あなたは何も悪くないし一切間違ってない、仮にこの先何かを間違うことがあっても、少なくともわたしはあなたを大切にし続ける、だから安心してほしい、そういうことを伝えた。

さっき医者に「安心しろ」と言われて「できるかよ」と思っていたくせに、何て調子がいいんだろうと思った。

 

わたしの言葉が彼にどういう風に届いたかは彼にしか分からないけど、友情と尊敬と信頼を込めた心からの言葉は、どんなに下手くそでも絶対に何かを伝える、今すぐじゃないかもしれないし、わたしの想像するのと全く別のかたちかもしれないけど、わたしはそう信じている。そう祈っていると言ってもいい。

もしもそうでなかったら、この世で言葉を遣って他人と共に生きることって何なんだろうと思う。わたしは信じている人に信じられたい、大切な人とは支え合いたい、何でもしたい、力になりたい。そしていつでも臆面もなく、そういう思いをそう思った時に本人にそのまま伝えたい。

 

言葉にしなければ伝わらないことは思っているよりもずっと多く、そのことに気付いている人は思っているよりもずっと少ない。

「こんなことを言ったら恥ずかしいかな、痛いかな」なんていうつまらない自意識は18歳の時にドブに捨てた。どんなにダサくてもキモくても、言いたいことを言わないよりはマシだ。

 

友人に伝えたいことを伝え終えたら、手術への恐怖は不思議と消えていた。

医者の言葉を信じようと思った。げんきんな話だが、一緒に病気を治す為に努力し合おうと、自然に思えた。

別の友人知人から、優しい気遣いの言葉をもらったことも、大きな助けになった。

 

感謝と感激でまた泣きそうになっていると、上司から、先日生まれた子どもの写真と共に、出産祝いのお礼のメールが届いた。

会社を辞めるにあたっての複雑で面倒なやりとりの中で、上司から再三に渡り配慮に欠けた言動があり、以来、まるで友人のように円満だった関係は急激に悪化し、わたしは彼に全く好意を持てなくなっていた。

 

メールには、体調への気遣いと、新たな環境へと去っていくわたしへの励ましと感謝と、息子への愛が綴られていた。決して流麗な文章ではなかったが、そこに嘘はなかった。

どんなに相手を大切に思っていても、傷つけたり傷つけられたりすることはある。

ついさっき自分で思い出したことを、また思い出した。

そもそもそんな人存在するのか分からないけど、わたしも上司も言葉を扱うプロではない。そしておそらくそれぞれに、全く別の欠陥を抱えている。それでもこの数年、共通の趣味をかすがいとして、きちんと真面目に付き合ってきた。

 

わたしはまた、面倒な揉め事を前に貴重な人間関係を投げ捨て、何もかもなかったことにしてどこかへ逃げようとしていたことに気が付いた。上司はややデリカシーに欠けていて、私は神経質すぎる。ただそれだけのことを、大げさに捉え被害妄想を膨らせていたと気付いた。それは不誠実な臆病者のすることだ。そんな風には生きたくない、と思った。

 

わたしは、少ない語彙から慎重に言葉を選び、上司への謝罪と感謝と、子どもの健やかな成長を祈るメールを返した。上司からは、すぐに呑気で朗らかな返信があった。

ちょっと言葉の扱いが下手で配慮に欠けるのがこの人の欠点で、大らかで心が優しいのが美点で、その二つは同じものでできている。わたしもきっと同じだ。

 

そういうことを認め、赦し、受け入れることができるようにならない限り、わたしは死ぬまで孤独だろう。

それはわたしの望むところではない。嫌いなやつには嫌われても一向に構わないが、好きな人と分かり合う為の努力を怠けたくはない。手を尽くした果てにやはり孤独や不安がぽっかりと口をあけて待っているとしても、わたしはその道を選ぶ。それがわたしにとって、美しいと思える生き方だからだ。

 

全然関係ないけど、RHYMESTERの新しいアルバムのタイトルは『Bitter,Sweet&Beautiful』で、最高にかっこいいと思った。わたしもBitterもSweetもある、Beautifulな人生を送りたい。『Bitter,Sweet&Beautiful』を聞きながら、死ぬのはそれからでも全然いいな、と思った。