母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20170430

結婚するずっと前、既婚者の男友達ふたりに、どんな時に奥さんを愛してるって思う? と訊いたら、ひとりは「ふてくされてる顔を見た時」もうひとりは「寝顔を見た時」と答えた。どうして? と訊くとふたりは似たようなことを言った。小さな頃も、こんな顔をしていたのだろうか? いつも顔をつきあわせているこの人の中には、小さな頃のこの人がいるのだと感じる、と、細かい言い回しは忘れたがこんな感じだった。
相手が過ごしてきた、自分には知り得ないはずの時間に思いを馳せる。実際にしていたかどうかも分からない顔を思い浮かべる。他人の内部に地層のように重なって積み上げられた時間、そこにある感情や表情や風景や音を想像し、それを尊いと思う時、湧き上がるもの。目の前にいるその人をその人たらしめている所以に触れようと思う時の気持ちを、愛しているというのかもしれない。
かく言うわたしも昨夜、夫の寝顔を眺めていた。慢性的鼻炎で、夫はいびきをかく。昨夜はいつにも増して豪快だった。朝起きたら聞かせてやろう、と携帯のボイスメモを口元にかざした途端、なぜかいびきは止んだ。32歳の男が、子どもみたいな顔ですうすうと寝息を立てていた。

先日、長いこと絶縁状態にあった兄と再会した。結婚して、夫の弟たちに会い、あれこれとおしゃべりをしたり、同じ食卓を囲んだりするうちに、この子たちと育ってこの人はこうなったのだ、とやけに感慨深かったので、夫にも同じことをしてやりたいと思ってのことだった。
創作イタリアンの店の個室のドアを開ける時、緊張した。今あの人、仕事とかどうなってるんだっけ。容貌さえ想像がつかない。どんな風に何を話し、好きな食べ物が何でどんなことに笑うか。わたしはここ数年の兄について、何も知らなかった。思い切ってドアを開けると、兄がいた。兄だった。わたしの知っている兄だ。面長で、富士額で、目は切れ長、鼻が大きく唇は厚ぼったい。32になるのに、チャラチャラした服を身にまとっていたが、特に驚きはなかった。立ち上がり、中途半端な笑みを浮かべながら夫に挨拶をする。これも見たことがある。絶縁していた数年は、共に過ごした18年にあっけなく敗れた。多くの場合、時間は長い方が圧倒的に強いのだ。避けてきたはずの兄の前に腰を下ろすと、もう緊張は消えていた。
兄の話はそれなりに愉快だったが、わたしの心を揺さぶったりはしない。これも小さな頃からのことだ。笑いながら相槌を打っていると、そういえばさ、と言う。「お母さんの飯って、微妙じゃなかった?」その一言で、わたしは昔囲んだ食卓の天板の質感、汚れ、茶碗の柄、弁当か何かについてきたのを使い回してカビかけている割り箸、麦茶の注がれたコップ代わりのワンカップを思い出した。そこには兄がいて、母がいた。家は、今では人の手に渡っている。
「おい、微妙だったとか言うなよ」
「いや、だって、おでんとかまずくなかった?」
わたしは笑った。確かにおでんはまずかった。ただいまー、と言っておでんのだしのにおいがすると、わたしたちはがっかりしていた。まずかったとか言うなよ、とわたしが言って、兄が笑い、すぐに話題は別のものに移った。
帰り道、夫は、お兄さんってとう子ちゃんに似てるね、と言った。どこが? とは訊かなかった。性格も生き方も真逆だと思ってきたが、夫はわたしたちに似ている何かを見出した。

未来について考えることがある。昨日わたしは、亡くなった友人の服を着て、その人が好きだった女子プロレスを観に行った。観に行ってみて、とずっと言われていたのに、結局観に行くことはなく、しかし彼女に勧められたから、というのとは別のきっかけで今になって興味を持ち、観に行った。一緒に観ている気持ちになるだろうか、と思っていたが、実際試合が始まると、それを観ていたのは、わたしだった。当然だ。彼女の目を借りることなどできない。しかしわたしは、わたしの目で観た女子プロレスに、すっかり魅了された。これからも観に行きたい、と強く思った。家に帰り、服を脱いでベッドに置き、顔をうずめた。これからもずっと着る。いくつになっても、似合わなくなっても、派手すぎると指をさされても、わたしはこの服を着続ける。着ないはずがない。この服には、あの人が着ていた時間が染みついているのだ。そしてこれからわたしが死ぬまで、わたしの時間が積み重なっていくのだ。あの人の持っていた、美しいものものを、借りることは到底できない。ただ、そこへ自分の時を重ねていくことはできると思いたい。わたしはこれから、彼女と共にあれるのかもしれない。共にありたい。その、見えぬ未来を勝手に思い描く気持ちもまた、愛と呼べるのではないか。