母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20170916

台風が来ているというのに億劫だからと傘を持たずに出たら、案の定降られてしまった。
友だちの折り畳み傘の中に入れてもらいながら、新宿の西側を歩く。街の光が濡れた道路をキラキラさせていた。人の多いところにいたせいで体が熱くなっていて、左肩を打つ雨が心地よかった。

評判のもつ焼き屋で、40分ほど並んだあと、狭いカウンター席に座った。隣の男の人の体がみっちりと体にくっつく。不思議とそこまで嫌ではなかった。この人は、どこに住んでる誰なんだろうか。好き合っているわけでもないのにこんなに体をくっつけて、ごはんを食べていて、それぞれに笑っている。別にめずらしくもなんともないことだが、デニムのももとももが触れ、じんわり熱くなっているのが、なぜかすごくおかしなことに思えた。彼はパーラメントを吸っていたが、ふっと気付いたらテーブルの上の箱がなくなっていて、隣を片目で覗き見たら先ほどとは別の人が座っていた。彼が帰り、別の人が座ってきたことに、全く気付かなかった。
もうくっつくことのできない好きな人がいて、やっぱり触りたかったなと思う。夏、海のそばのクラブで、わたしの二の腕を二の腕で押し、耳打ちをしてきたことを思い出す。その内容や声は覚えているのに、肌の感じが思い出せない。冷たくて柔らかかったような気がするが、そうでないかもしれない。信じがたいけど、その二の腕はもうこの世にない。
忘れられないことと同様に、思い出せないこともまたたくさんあり、それらを自分の意思でうまく扱えないことが悔しく、また苦しい。

すっかり満腹でもう食べられないと思ったが、二軒目の台湾料理屋でも箸が進んだ。一軒目よりゆったりとしたカウンター席で椅子にだらんと体を預けたら、何だか途端に糸がゆるんだようになり、頭がぼんやりした。こういう感じは、ずっと続いている。楽しくても悲しくても、いつも頭のどこかがぼんやりしている。
話題はあちこちに移ったけれど、気付けば同じ話に戻っていた。わたしたちはいつまで同じことを思い続けるのだろう? と考えたけれど、全く分からなかった。映画や本や誰かがのこした言葉の中にその手がかりを探しているうちに、冬と春が過ぎ、夏も終わろうとしている。秋がやってくる。まだ、驚くほど悲しい。悲しさを持ち歩くということが、こんなにも力を奪うものだとは思わなかった。というか、そんなことは考えたことすらなかった。

帰りがけ、店の外でたばこを吸っていると、いつの間に出かけていたのか、先ほどまでカウンターの中にいた店員さんがコンビニ袋を提げて戻ってきた。袋の中身はミルクティーだった。
沖縄育ちの彼女は、台風が好きなのだと言う。台風がくるといつも傘をさして表へ出て雨風の中を遊んだと、ジェスチャーをまじえて話してくれた。
彼女は話しながら、さしてきた傘をたたもうとしていたが、風もないのにもう骨が何本か折れてしまっていて、なかなかうまくいかないようだった。しばらくの間いじくっていたが、突然、もう捨てちゃおう! と言って曲がった傘をぱっとゴミ置場に捨て、愛想よく笑いながら店の中へ入っていった。

友だちとは、抱き合って別れた。
大江戸線の車両の中は人がまばらで、心細く、快適だった。きちんと方向を確かめずにふらりと乗り込んでしまったので、どこへ向かうのかはっきり分からず心もとなかったが、特に調べもせず、そのまま窓を見ていた。