母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20180130

この年末年始は、実家に帰らなかった。
正確に言うと、帰るつもりで飛行機のチケットをとっていたが、数日前にキャンセルをした。

母にメールでその旨を伝えると、すぐに電話がかかってきた。涙声だった。父を許してやってほしい、という話だった。


秋口に、離婚することになりそうだと伝えた時、父は「明日帰って来い」とだけ応えてぷつりと電話を切った。
わたしは慌てて飛行機のチケットを買って、翌日着の身着のままという感じで文字通り飛んで行った。しかし実際のところ、その時点ではさして危機感を抱いてはいなかった。多少叱られるだろうがそれで済むだろうと思っていた。それどころか、非日常的なトラブルにどこか高揚してさえいた。日焼け止めを塗り忘れたことに気付いて、途中からそればかり気にしていた。

しかし、駅の改札から父の車を見つけ、手を上げて近付いていくと、車のそばに立つ父の表情はかたく強張っていて、思っていたよりまずいことになりそうなのは一目瞭然だった。「いやいや〜離婚することになっちゃいました〜!」とおどけるプランも考えていたわたしは、もしそんなことをしていたら、と想像してぞっとした。
あぁ、とか何とか曖昧な挨拶をして車に乗り込み、それからふたりとも黙っていた。わたしは飲みかけのヘルシア緑茶のペットボトルがドリンクホルダーの中でかたかた揺れるのを見ていた。

家に入ると、父は「お母さんが帰ってきてから話し合おう」と言って、録画してあったのであろうテニスの試合を再生し始めた。わたしはソファに座って、それを見るでもなく見ていた。

ほどなくして、母がパートから帰ってきた。ダイニングテーブルにつき、わたしはふたりに事の顛末を説明した。
怒鳴られ、咎められ、諭され、怒鳴られ、そういった一般的なやりとりがひと通り行われた。きつい場面もいくつかあったが、まぁ想定の範囲内だった。あと少し耐えれば済む。最後にはいつものように「好きにしなさい」と言われるだろう。
しかし言葉の応酬が止まった後、父は考えもしなかったことを言い出した。
「お父さんはとう子ちゃんのことずっとそういう人間だと思っていたよ」
意味を図りかねているとこう続けた。
「とう子ちゃんは誰にも看取られずにひとりで死んで、部屋で腐ってからやっと気付かれるような、そういう死に方をする人間だと思ってきたよ」
そうして父は席を立ち、なぜか母が泣いて、「話し合い」は唐突に終わった。
わたしはぽかんとしていた。あ、わたしは侮辱されたのだ、と気付いたのは風呂の中でだった。お前は夫だけでなく世界中の誰にも愛されず、必要とされず、生きていることにさえ気付かれず、たったひとりで死ぬ、そういう人間だと言われたのだと。たかが離婚ごときで。

翌朝、うとうとしていたら「とう子ちゃん」と声をかけられた。ベッドのそばに父が立っていた。思わず身構えると、父は「昨日はごめんね」と言った。あれはごめんで済むことだったのだろうか、と思ったが、とりあえずうん、と答えた。父は少し黙ってから、「とう子ちゃんもおかしいところがあるけど、お父さんもおかしいんだ。お母さんに全部話してから帰ってね。お母さんは、おかしい人を大丈夫にしてくれる人だから」と言った。
そんなことで父を許そうとは思わなかった。ただ、この人はたかが離婚で娘の死に様を侮辱する程度にはおかしくて、そういうおかしさをずっと、妻に「大丈夫」にしてもらって生きてきたのだと思うと、苦しかった。苦しかっただろうと思った。
わたしは、なぜか父の手を握った。ふたりとも手が震えていた。父は神経の病気で、わたしは飲んでいる薬の副作用で、手が震えるのだ。
「じゃあ、行ってくるね」と出て行った父の背中を見送り、わたしは一連の騒動の中で、初めて泣いた。

年末年始の帰省をやめたのは、父に会うのが怖かったからだった。怒鳴られたり侮辱されたりするのが怖かったわけではない。父への恨みや憎しみが自分の中にどれだけ残っているかを知るのが怖かった。それから、顔を合わせたら、わたしたちは似た者同士で、誰かに「大丈夫」にしてもらわないと生きていけない性質の人間なのだと思い知ることになるのではないか、ということも怖かった。


今日、わたしは再来月に実家に帰ることを決め、飛行機のチケットを買った。

『タレンタイム〜優しい歌』という大好きな映画の再映が決まったのを知ったからだ。(昨年、渋谷シアター・イメージフォーラムをはじめとする各地の劇場にて、日本で初めて公開された。渋谷UPLINKにて、2/3から2/16まで上映。http://www.uplink.co.jp/movie/2017/49657 )

作品の舞台は多民族多宗教多言語国家のマレーシア。あらゆる差異を越えて、人と人が繋がり合うあたたかく優しい風景と、監督であるヤスミン・アフマドの「不寛容は敵」という言葉を思い出し、父のことが頭に浮かんだのだった。

父に会って、父を許すことができるのかどうか、試してみたいと思う。父のためではなく自分のために。自分の人生のために。不寛容な悲しい生き方でなく、寛容で豊かな生き方を獲得するために。死に様などどうあってもいいのだということを、生き様で証明していくために。

来月『タレンタイム〜優しい歌』を観に行こうと思う。人々が、分かり合えなさを越えて互いを思い合う美しさを見れば、勇気をもらえるはずだ。しかし当然ながら、作中全ての人々が受け入れ合えるわけではない。わたしは同時に、許すことが最も大きく困難な愛であることも知るだろう。それでもやはり、わたしは飛行機に乗り、海を越えて帰るのだ。それはきっと、本当の「敵」と対峙する第一歩になるだろう。