母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20161202

雨宮まみさんがいなくなってしまったという報せをうけて、信じられないけど、もう20日くらい経ってしまう。
この間の金曜、わたしは大好きなceroのライヴを観に、新木場にあるSTUDIO COASTに行った。STUDIO COASTは、わたしがまみさんに最後に会った場所だ。
ceroのライヴ当日、わたしはどうしたらよいのか、というか、自分がどうしたいのか分からなくなり、家でじっとしているのが嫌になって、19時開演のところ、なぜか15時半頃には会場に着いてしまっていた。当然何もすることがないので、会場の周りをただうろうろした。うろうろと言っても、行ったことのある人は分かるだろうがあの辺りには何もないので、橋の上を行ったり来たりして、川や、興味のないアーティストのライヴの看板や、観覧車や、誰もいなそうな立方体のビルの窓を眺めたりした。さすがに時間をつぶせなくなったのと、薄着で行ったので寒さがこたえてきて、駅ビルのロッテリアに入って、ちびちびポテトを食べた。一応かばんに本を入れてきていたけど、読まなかった。

ceroのライヴはすごく良かった。でも、やっぱりまみさんのことをたくさん思った。
あの日着ていたルアングリーンの背中の大きく開いたドレスのこと、一緒に踊った曲のこと、話した細かい内容まで、思いのほか色々なことを鮮明に覚えていた。そりゃそうだよな、楽しかったもんな、と思った。
でもあの日のことでひとつ、胸が痛いことがある。ライヴの途中で、じゃ、と別れて別行動になり、そのまま会場内ではすれ違わないままだったが、終演後、外で別の友人たちとコンクリートの上に座り込んでしゃべっていてふと顔を上げると、会場から出てくる人波の中に、まみさんを見つけた。わたしは「さっき適当に別れちゃったから、ちゃんと挨拶しようかな」と思って腰を上げかけたけど、「またそのうちライヴかヅカで会えるよね」と思って、そのまま、見送ってしまった。そしてそれが最後になった。
ちゃんと、「まみさんお疲れ様でした、またー」と言っておけばよかったなぁ、と思っている。もし仮に、あの時そう言っていたとしても、わたしは今きっと別の何かを後悔していたと思うし(ご飯に誘っておけばよかったなぁとか)、こういうのは、言い出すときりのない後出しの感傷なんだけど、それでもSTUDIO COASTにいる間じゅう、まみさんのきれいな背中が脳裏に浮かび続けていたし、あの時腰を上げていればよかったということを考え続けずにいられなかった。

ライヴが終わったあと、わたしはあの日「まみさんお疲れ様でした、またー」と言えなかった場所にしばらく立って、帰っていく人たちの波を眺めてみた。特にこれということは何も考えられなかった。ただ淋しかった。まみさんに会いたいと思った。

帰り道は、ceroの中でも特に好きな「FALLIN'」という曲を聞いた。

もうここにはいなくなってしまった人に向けた歌で、「思い出せる」という歌詞が繰り返す。「忘れるわけないだろ」という歌詞もある。今聞くのにぴったりなようで、実際には、今はそこまで心に沿わなかった。まだそういう風に悼む段階には、ないのだと思った。会えなくて淋しいとか、雪組の次のトップのことたくさん話したいのになぁとか、わたしを含めたたくさんの人がまみさんを必要としているのになぁ、なのに何でこの世界にいないんだろうとか、やっぱりみんな嘘なんじゃないかとか、どういうことなんだろうとか、そういうところから先へ、わたしはなかなか行けないでいる。大好きな「FALLIN'」が頭の中でからからと回っていた。

21時過ぎの京葉線には、ディズニーランド帰りの若いカップルがたくさんいて、なぜか分からないけど床がびちゃびちゃに濡れていて、みんながそれを避けていた。何の液体か分からないけどわたしも別の車両に移動した。早く家に着いてくれと思った。