母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20171115

時が経てば、悲しい気持ちは小さくなっていくと思っていたけど、悲しいと思う頻度が少しずつ減るだけで、悲しさの大きさは一切変わらないことを知った一年だった。
毎月、月の真ん中に赤いバラを生け、写真を眺めては、なぜこんなことをしているのだろう? と思った。本当は弔いたくなんてないのだ。会いたい。会って話したい。声が聞きたい。触りたい。それがいちばんの願いなのだ。今も。

一緒に行ったカフェ、すすめられたブランド、聞いた音楽、言われた言葉、もらったメールや手紙や、いいよねと言い合った宝塚のDVD。そこらじゅうにまみさんの気配があり、でもどこにも本人がいないということに、ずっと混乱し続けてきた。なぜ、という問いが胸の中に渦巻き続けている。誰かが知っているなら聞きたかった。なぜまみさんがここにいないのか。

こんなことは言ってはならないけれど、できることなら友だちや好きな人たちの中でいちばん先に死にたい、と考えるようになった。誰かが亡くなることにもう耐えられる気がしない。みんな、全員、一日でもわたしより長く生きてほしい。でも、これから年をとるにつれ、人との別れが増えていくことは避けられない。生きている以上、大切な人がいなくなる悲しさが次々に重石のようにのしかかってくるのだと思うと、生きることは地獄を這うようなものだと思う。

でも、この世に存在するあらゆる地獄から自由になる術を探して見つけて教えてくれたのが、雨宮まみという人の文章であり、人となりだった。何度も何度も、ああ生きてみるのも悪くないかもしれない、と思った。生きることの中にある苦しみを苦しみのまま投げ出さない、人生に対する誠実さを見た。今この場所でただ生きること、生きようとすることが、たぶん、雨宮まみという人を尊敬したわたしに唯一できることなのだと思う。

などという結論は、あまりにもありきたりで頼りない。しかし今は、どんな細い藁でも掴まずにいられない。掴める藁を少しずつ増やしていくことは、救いにはならないとしても、無意味ではないと思いたい。

死後の世界はない。まみさんはどこにもいない。前述の通りそれは痛いほど分かっているのに、それでも時折なぜか「元気でいるといいな」と思うことがある。やや偽善的だが、わたしはわたしに関わる人、関わった人たちには、みんな元気でいてほしいと思っている。友人や家族、それから疎遠になってしまった同級生にも、別れた恋人にも、この間新幹線の中でいないいないばぁをし合った知らない子どもにも。まみさんが元気でいるといいな、と思う時、わたしは自分が本当にまみさんのことが好きなのだと改めて知る。悲しみが決して消えないのと同様に、好きだという気持ちも消えることがない。ひたすらに悲しく淋しいが、わたしはこの人のことをずっと好きなのだ、と思えることを、幸福に思う瞬間も、確かにある。

わたしはまみさんが好きだ。悲しさとともに、その気持ちをずっと持ち歩いていきたい。それで何がどうなるわけではないけれど、それでも、わたしはまみさんを思い続ける。

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20170916

台風が来ているというのに億劫だからと傘を持たずに出たら、案の定降られてしまった。
友だちの折り畳み傘の中に入れてもらいながら、新宿の西側を歩く。街の光が濡れた道路をキラキラさせていた。人の多いところにいたせいで体が熱くなっていて、左肩を打つ雨が心地よかった。

評判のもつ焼き屋で、40分ほど並んだあと、狭いカウンター席に座った。隣の男の人の体がみっちりと体にくっつく。不思議とそこまで嫌ではなかった。この人は、どこに住んでる誰なんだろうか。好き合っているわけでもないのにこんなに体をくっつけて、ごはんを食べていて、それぞれに笑っている。別にめずらしくもなんともないことだが、デニムのももとももが触れ、じんわり熱くなっているのが、なぜかすごくおかしなことに思えた。彼はパーラメントを吸っていたが、ふっと気付いたらテーブルの上の箱がなくなっていて、隣を片目で覗き見たら先ほどとは別の人が座っていた。彼が帰り、別の人が座ってきたことに、全く気付かなかった。
もうくっつくことのできない好きな人がいて、やっぱり触りたかったなと思う。夏、海のそばのクラブで、わたしの二の腕を二の腕で押し、耳打ちをしてきたことを思い出す。その内容や声は覚えているのに、肌の感じが思い出せない。冷たくて柔らかかったような気がするが、そうでないかもしれない。信じがたいけど、その二の腕はもうこの世にない。
忘れられないことと同様に、思い出せないこともまたたくさんあり、それらを自分の意思でうまく扱えないことが悔しく、また苦しい。

すっかり満腹でもう食べられないと思ったが、二軒目の台湾料理屋でも箸が進んだ。一軒目よりゆったりとしたカウンター席で椅子にだらんと体を預けたら、何だか途端に糸がゆるんだようになり、頭がぼんやりした。こういう感じは、ずっと続いている。楽しくても悲しくても、いつも頭のどこかがぼんやりしている。
話題はあちこちに移ったけれど、気付けば同じ話に戻っていた。わたしたちはいつまで同じことを思い続けるのだろう? と考えたけれど、全く分からなかった。映画や本や誰かがのこした言葉の中にその手がかりを探しているうちに、冬と春が過ぎ、夏も終わろうとしている。秋がやってくる。まだ、驚くほど悲しい。悲しさを持ち歩くということが、こんなにも力を奪うものだとは思わなかった。というか、そんなことは考えたことすらなかった。

帰りがけ、店の外でたばこを吸っていると、いつの間に出かけていたのか、先ほどまでカウンターの中にいた店員さんがコンビニ袋を提げて戻ってきた。袋の中身はミルクティーだった。
沖縄育ちの彼女は、台風が好きなのだと言う。台風がくるといつも傘をさして表へ出て雨風の中を遊んだと、ジェスチャーをまじえて話してくれた。
彼女は話しながら、さしてきた傘をたたもうとしていたが、風もないのにもう骨が何本か折れてしまっていて、なかなかうまくいかないようだった。しばらくの間いじくっていたが、突然、もう捨てちゃおう! と言って曲がった傘をぱっとゴミ置場に捨て、愛想よく笑いながら店の中へ入っていった。

友だちとは、抱き合って別れた。
大江戸線の車両の中は人がまばらで、心細く、快適だった。きちんと方向を確かめずにふらりと乗り込んでしまったので、どこへ向かうのかはっきり分からず心もとなかったが、特に調べもせず、そのまま窓を見ていた。

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20170811

なくなってほしくないと思うものがある。

この間わたしは友だちを場外馬券場に連れて行った。まだまだ初心者ではあるけれど、一応一年半くらい競馬ファンをやっているので、競馬は初めて、という彼女をアテンドすることになった。

2レース買って、わたしはかすりもせず、友だちの予想の方がいい線をいっていた。いいところを見せようとひそかに意気込んでいたわたしは結構恥ずかしくて、単純に負けたことも悔しくて、でも楽しげな彼女を見たら、そんな気持ちはすっと消えてしまった。

馬券場を出て友だちの友だち夫婦と合流し、中華料理屋で小腹を満たしてから、食べ物は美味いが、店員が脈絡なく客を威嚇したり、大声で意味不明の嫌味やひとりごとを連呼する地獄みたいな立ち飲み屋を挟んで、いよいよメインのもつの店へ。以前来た時、運悪く臨時休業だったので、リベンジしよう、と言っていたのだった。
2軒目の店について、もう二度と行かない! と憤りつつも、あの発言やばかったよね、どうかしてるよね、と笑い話にしながら、川沿いを歩いた。一人であったら、こんな風に怒りをなめらかに笑い話にすることなんてとてもできない。三人と話しながら、一緒にいてくれてうれしい、と思った。
まだ陽は高く、気温もそれなりだったはずだが、狭い店で煙にいぶされた後ではぬるい空気も清々しかった。川は暗くよどんでいたが、それでもそばを歩くと気分が澄む。自然に川面に目が吸い寄せられる。物が動く時、人の心もまた動くものだとわたしは思っている。間断なく動き続けている、というのもよい。川の流れは、だいたいの場合、目の前でぷつりと止まったりしない。止まることのなそうなもの、少なくとも傍目には半永久的に見えるもののそばにいると、わたしは落ち着く。
もつ屋の暖簾をくぐると、接客の底辺を見た後だったので、笑顔でいらっしゃいませと言われるだけで感動してしまった。友だちのオススメのもつは絶品で、すっかりはしゃいで口が滑り、おしゃべりも弾んだ。
店は、手が空くと大将がギターでオリジナルソングを聞かせてくれるというのも売りのひとつで、まぁ一応聞いておくかとお願いしたら、これがいい曲ばかりで思いがけずじんとした。曲はすべて、その店のある野毛がいかにいい街か、大将が野毛のどんなところをどういう風に大事にしてきたかを、耳がすぐさま理解するような、純粋でまっすぐな愛の歌だった。
わたしたちの卓だけでなく、店中みんなが笑顔で手拍子をしていた。大将の老齢のお姉さんは、満面の笑みで厨房から飛び出してきて、大声で合いの手を入れていた。
わたしはひそかに、人が何かを大切に思う時の、切実な美しさに胸打たれていた。それを軽やかに歌というかたちにする、大将の慣れた手つきにも。

お腹も心も大満足の状態で友だちと駅まで歩き、別れ際、わたしは汗まみれの体で彼女を抱きしめた。抱きしめたかったからだ。それから笑って、手を振ってそれぞれ別の改札へ向かった。

好きなものは、思っているよりも簡単になくなってしまう。
競馬は、少子高齢化でこの先どんどん減収していくことが予想されていて、わたしがおばあちゃんになるまで続いていくのか、果たして分からない。わたしがおばあちゃんになるかも分からない。あの店もいつまであるか分からない。大将が歌えなくなる日も、必ずくる。
時とともに人は去り、店は潰れ、好いていたあの文化もあの娯楽も、衰退してかたちを失い、別の何かに変わる。本当に、心底残酷だと思う。
さらに残酷なことに、わたしは年を重ねるごとに、そういう類の喪失感をどんどん背負っていかなければならない。悲しみの負債は、たとえ大きな喜びがもたらされたとしても、決してチャラにはならないのだ。わたしはこの半年ちょっとの間でそのことに気付き、驚き、ひどく絶望したのだけど、もうそろそろ次の一歩を出さなければならないと思っている。かたちのあるものもないものも、いつかは分からないけどいつかすべて消えるけれど、生きている限り、悲しみは消えることがない。まずそのことを、受け入れなければならない。ひとたび悲しいと思ったら、もう一生悲しいのだ。そう思う頻度が時とともに低くなっていっても、悲しさの大きさや鮮度は、悲しいと思った瞬間のまま保存され続ける。忘れることなどできない。それでも生きていかなければならない。理由はない。生きている者は、生きなければならない。

わたしは生きるために、そして生きてもらうために、馬券を買い、もつを食い、歌を聞き、友だちを抱きしめる。いなくなるまで一緒にいてね、一緒にいてくれてありがとうね、と思いながら。
そんな程度の行為に、どれだけの意味があるのだろう、と思わないわけではない。でも、それ以外に一体何ができるというのだろう? 今のところわたしには、これしか思いつかないのだ。

愚直にやろうと思う。少しずつ歩いていこうと思う。大切なものに対して、臆病にならずにいたい。大切だという思いを、怯まずに伝えたい。なくしてしまったものを思いながら、勇気を持って何かを誰かを愛して、生きて、生きてもらいたい。

奇しくも(?)今日、岡村靖幸がライブ中にステージ上から「みんなのことが大好きだよ」というようなことを言うのを聞いた。少し涙が出た。言ってくれてありがとう、と思った。

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20170430

結婚するずっと前、既婚者の男友達ふたりに、どんな時に奥さんを愛してるって思う? と訊いたら、ひとりは「ふてくされてる顔を見た時」もうひとりは「寝顔を見た時」と答えた。どうして? と訊くとふたりは似たようなことを言った。小さな頃も、こんな顔をしていたのだろうか? いつも顔をつきあわせているこの人の中には、小さな頃のこの人がいるのだと感じる、と、細かい言い回しは忘れたがこんな感じだった。
相手が過ごしてきた、自分には知り得ないはずの時間に思いを馳せる。実際にしていたかどうかも分からない顔を思い浮かべる。他人の内部に地層のように重なって積み上げられた時間、そこにある感情や表情や風景や音を想像し、それを尊いと思う時、湧き上がるもの。目の前にいるその人をその人たらしめている所以に触れようと思う時の気持ちを、愛しているというのかもしれない。
かく言うわたしも昨夜、夫の寝顔を眺めていた。慢性的鼻炎で、夫はいびきをかく。昨夜はいつにも増して豪快だった。朝起きたら聞かせてやろう、と携帯のボイスメモを口元にかざした途端、なぜかいびきは止んだ。32歳の男が、子どもみたいな顔ですうすうと寝息を立てていた。

先日、長いこと絶縁状態にあった兄と再会した。結婚して、夫の弟たちに会い、あれこれとおしゃべりをしたり、同じ食卓を囲んだりするうちに、この子たちと育ってこの人はこうなったのだ、とやけに感慨深かったので、夫にも同じことをしてやりたいと思ってのことだった。
創作イタリアンの店の個室のドアを開ける時、緊張した。今あの人、仕事とかどうなってるんだっけ。容貌さえ想像がつかない。どんな風に何を話し、好きな食べ物が何でどんなことに笑うか。わたしはここ数年の兄について、何も知らなかった。思い切ってドアを開けると、兄がいた。兄だった。わたしの知っている兄だ。面長で、富士額で、目は切れ長、鼻が大きく唇は厚ぼったい。32になるのに、チャラチャラした服を身にまとっていたが、特に驚きはなかった。立ち上がり、中途半端な笑みを浮かべながら夫に挨拶をする。これも見たことがある。絶縁していた数年は、共に過ごした18年にあっけなく敗れた。多くの場合、時間は長い方が圧倒的に強いのだ。避けてきたはずの兄の前に腰を下ろすと、もう緊張は消えていた。
兄の話はそれなりに愉快だったが、わたしの心を揺さぶったりはしない。これも小さな頃からのことだ。笑いながら相槌を打っていると、そういえばさ、と言う。「お母さんの飯って、微妙じゃなかった?」その一言で、わたしは昔囲んだ食卓の天板の質感、汚れ、茶碗の柄、弁当か何かについてきたのを使い回してカビかけている割り箸、麦茶の注がれたコップ代わりのワンカップを思い出した。そこには兄がいて、母がいた。家は、今では人の手に渡っている。
「おい、微妙だったとか言うなよ」
「いや、だって、おでんとかまずくなかった?」
わたしは笑った。確かにおでんはまずかった。ただいまー、と言っておでんのだしのにおいがすると、わたしたちはがっかりしていた。まずかったとか言うなよ、とわたしが言って、兄が笑い、すぐに話題は別のものに移った。
帰り道、夫は、お兄さんってとう子ちゃんに似てるね、と言った。どこが? とは訊かなかった。性格も生き方も真逆だと思ってきたが、夫はわたしたちに似ている何かを見出した。

未来について考えることがある。昨日わたしは、亡くなった友人の服を着て、その人が好きだった女子プロレスを観に行った。観に行ってみて、とずっと言われていたのに、結局観に行くことはなく、しかし彼女に勧められたから、というのとは別のきっかけで今になって興味を持ち、観に行った。一緒に観ている気持ちになるだろうか、と思っていたが、実際試合が始まると、それを観ていたのは、わたしだった。当然だ。彼女の目を借りることなどできない。しかしわたしは、わたしの目で観た女子プロレスに、すっかり魅了された。これからも観に行きたい、と強く思った。家に帰り、服を脱いでベッドに置き、顔をうずめた。これからもずっと着る。いくつになっても、似合わなくなっても、派手すぎると指をさされても、わたしはこの服を着続ける。着ないはずがない。この服には、あの人が着ていた時間が染みついているのだ。そしてこれからわたしが死ぬまで、わたしの時間が積み重なっていくのだ。あの人の持っていた、美しいものものを、借りることは到底できない。ただ、そこへ自分の時を重ねていくことはできると思いたい。わたしはこれから、彼女と共にあれるのかもしれない。共にありたい。その、見えぬ未来を勝手に思い描く気持ちもまた、愛と呼べるのではないか。

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20170303

結婚おめでとう、と言われる時期を過ぎ、結婚してみてどう? とか、楽しい? と訊かれる機会が増えてきた。
何回訊かれても、「いやぁ、分かんないなぁ」「どうかなぁ」みたいなことしか言えない。
もしこれが死ぬ直前だったら「いい人生だった……」とか言う可能性はなくもないけど、とりあえず今はどうもこうもなく進行する生活の只中にいるので、どの時点のどの何をどう答えたらよいか、困惑してしまう。そもそも生活って総括して語れるものでもないしなぁ、とも思う。
それでいつも、わたしは口の中でもごもご言う。相手が、ただ話のきっかけに結婚のことを持ち出しているのは、百も承知なのだが。

この間、高校の同級生の結婚式があった。
思い出話に花を咲かせていたらあっという間に終電で、足早にみんなと別れ、ひとり地下鉄のドアに寄りかかって自分の顔を見ていたら、ふっと脳みその「思い出スイッチ」みたいなものがオンになり、高校1年生から29歳の現在に至るまで好きになった人たちのことを順番に思い出すという、やや気持ち悪い行為にふけってしまった。
その結果、これまでわたしは、その人と分かり合えそうかどうかを基準に、恋人になりたいかどうかを考えてきたことが分かった。「分かり合える人」に出会おうとしてきた。

過去の恋人たちとは、必ず共通の趣味があった。完全に共通していなくても、お互いの好きなものを教え合ったり貸し借りしたりして楽しめた。「いいね」と言い合えた。思考回路や言葉の運用の仕方も、何となく自分と似通っていた。少なくとも、想像がついた。

わたしと夫はそうではない。
わたしは夫が何を考えているかが、全く分からない。他人の考えていることなど分からなくて当たり前なのだが、それを抜きにしても、本当に分からない。

先日外出中に、夫から「今スーパーにいるけど欲しいものある?」とメールがあった。「みかんゼリーが食べたいかな」と返信し、帰って冷蔵庫を開けて仰天した。大量のみかんゼリーが入っていた。13個。
「何で13個も買ったの?」と訊いた。安売りしていた、買いだめしておこうと思った、たくさん食べたいのかと思った……あたりの返答を想定していたのだが、夫は一言「あったから」と答えた。
「え? 全部買い占めたってこと?」
「買い占めたっていうか、たまたま13個あったんだよ」
「じゃあ30個陳列されてたら30個買ってたってこと?」
夫はしばらく首をひねっていた。
「いや、でも実際30個なかったからね。それは分かんないよね、本当にそこに30個ないとさ」
「はぁ」
「でもあの棚そんなに奥行きないよ」

意味が分からないと思いながらみかんゼリーを食べ続けていた数日後、夫はまたみかんゼリーを12個買った。理由を訊いても分からなさそうなので、もう何も言わなかった。
でもわたしは内心、分からない、というその状態を自分が面白がっているのに気付いていた。分からなさという余白が、何だか楽しいということに。

若い頃は、こういう人と付き合うとは思っていなかった。
自分と同じように文系の学部を卒業し、そこそこの企業で文句を言いつつも真面目に働いて、休日は小説や映画や音楽を楽しみ、ミッドセンチュリー的な家具で揃えたいけすかない部屋に住み、気の利いたバーを知っていて、ツーブロックで眼鏡で……みたいな、自分の想像できる範囲に生息している想像できる人とペアを組むのだと思っていた。
まさか会話すらまともに成立しない相手とひとつ屋根の下、おまけに特に苦痛もなく暮らすとは、思いもしなかった。

わたしは別に夫が変人だと言いたいわけではない。わたしにとって多少違和感があったというだけで、みかんゼリーを大量に買う人くらい、それこそ大量にいるだろう。

わたしが言いたいのは、自分が今「分からない」ということを、恐れなくなったのがうれしいということだ。うれしいというか、驚いている。分からなくても共に生活できる、ということに。疑問や違和感といったノイズが、生活の味になり得るということに。
もちろんそれは、お互い最低「こいつ何かいいな」くらいの好意を抱いていて初めて成り立つことではあるのだけど。

今わたしは、自分と違う人と過ごすのは面白いものだ、少なくとも面白がる余地があるものだ、という、人間関係のキホンのキみたいなものを初めて体感しているような気がする。

そんなことを考えていたら、また夫がたらみのどっさりみかんゼリーを12個買ってきたので(本当です)、この文章を書きました。夫の考えていることも、結婚してみてどうなのかも、やっぱり分からない。

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20170223

この間、池袋に映画を観に行く途中、ふと思い立って、一駅前の東池袋駅で地下鉄を降りた。
去年の春に引っ越すまで十年くらいその近くに住んでいたので、久しぶりに少し歩いてみたくなったのだ。

階段を上って地上へ出ると、左手すぐに建つ店に、赤いにわとり型のネオンが光っているのが見えた。あぁ、何の店か知らないけどこんなのあったな、と思った次の瞬間には、十年分の思い出がどっと溢れ出してきていた。

わたしは毎週土曜の朝に、赤いにわとりの店の前を通って、その先にある西友に、エコバッグ片手に買い物に行っていた。西友での買い物の前には、地下にあるTSUTAYAに寄った。前の週に借りた何枚かのDVDを返し、新しい分を借りた。DVDは途中からBlu-rayになった。
エコバッグの持ち手がずっしりと肩に食い込む感じと、DVDの入ったビニール袋が揺れて脚に触れるしゃらしゃらという音が、生々しく蘇った。

立ち止まっているわたしの横を、若い男女が通り過ぎて行った。おそろいの黒いリュックを背負っていた。リュックは、女の子には少し大きすぎるようだった。この街に住んでいるのだろうか。

西友で買った一週間分の食料を、脚がひとつとれて傾いた冷蔵庫に収め、一週間分の服を洗濯機の中に無理やり押し込んでから、ベッドに寝転び、録りためたドラマなんかを適当に流す。
ベッドの頭側には大きな南向きの窓があったが、長いことカーテンはつけずに、オカダヤかどこかで買った布を適当に切ってつっぱり棒に垂らして代用していた。そのせいで朝は眩しく、冬はとてつもなく寒かった。

気分のいい日は、洗濯物をアパートの屋上に干した。夏のある日、重たいランドリーバスケットを抱きながら階段を上っていくと、つばの広い軽そうな帽子をかぶった女の人が、キャンプの時に使うような背もたれ付きの椅子に座って音楽を流しながらビールか何かを飲んでいた。わたしに気付いて振り返ったその人は、ちょっと照れくさそうに頭を下げてから、また元の姿勢に戻った。わたしは邪魔をしないようにと、慌てて洗濯物を干した。でも正直なところ、ボロいアパートの狭い屋上でそんなことをしているのがちょっと滑稽な感じがして、見ているのが気恥ずかしかったというのもあったと思う。

思い出はまだまだ止まらず、東口五叉路に着く頃には頭が疲れていた。
道の向こう側に目をやると、ユニクロの白い光に照らされて、その前にある喫煙所が人でいっぱいになっているのが、よく見えた。

それでここに住んでいた時に付き合っていた人との煙草についての何か大切そうな思い出が顔を出しかけた時、たまたま信号待ちで目の前に立っている男の人のジーンズのおしりが目に入った。
右のポケットが、豪快に破れていた。破れているというか、下の部分だけかろうじてくっついていて、両側の縫い目は完全にとれていて、かつてポケットだった布が裏地を見せてべろんとたれ下がっているという状態だった。何でこんなことになるんだ、と思った。縫えよ。それかもういっそとっちゃえばいいのに。何でそんなの履き続けてるんだ、ともどかしく見ているうちに、煙草について何を思い出そうとしていたのか、すっかり忘れてしまっていた。

たまたま目にしたもので何かを思い出すことはたくさんあるけど、たまたま目に入ってきたもので何かを忘れることの方が、ちょっと多いような気がする。頭の中のものは、そこに在るものに簡単に負けてしまう。思い出は、べろんべろんのポケットにかき消されてしまった。

あの人あれ以外にズボン持ってないのかな、とぼんやり考えつつ、映画館の椅子に座った。大学生くらいで、髪型もきちんとして、クラッチバッグなんて持って小綺麗にしていたのに。

映画が始まってしばらくの間、斜め前の席の人が携帯をいじり続けていて眩しかった。気になって光る画面をそっと覗いたら、長い英語のメールを打っていた。英語できるのすごいなー、などと思っていたせいで、冒頭のところの印象が薄い。
映画が終わり、明るくなってからその人を見たら、外国の人だった。

帰りは別の道を通って、池袋駅から帰った。散々浮かんだ思い出たちは一年前のも十年前のも一緒くたになって引っ込んで、もうその夜には出てこなかった。

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20161202

雨宮まみさんがいなくなってしまったという報せをうけて、信じられないけど、もう20日くらい経ってしまう。
この間の金曜、わたしは大好きなceroのライヴを観に、新木場にあるSTUDIO COASTに行った。STUDIO COASTは、わたしがまみさんに最後に会った場所だ。
ceroのライヴ当日、わたしはどうしたらよいのか、というか、自分がどうしたいのか分からなくなり、家でじっとしているのが嫌になって、19時開演のところ、なぜか15時半頃には会場に着いてしまっていた。当然何もすることがないので、会場の周りをただうろうろした。うろうろと言っても、行ったことのある人は分かるだろうがあの辺りには何もないので、橋の上を行ったり来たりして、川や、興味のないアーティストのライヴの看板や、観覧車や、誰もいなそうな立方体のビルの窓を眺めたりした。さすがに時間をつぶせなくなったのと、薄着で行ったので寒さがこたえてきて、駅ビルのロッテリアに入って、ちびちびポテトを食べた。一応かばんに本を入れてきていたけど、読まなかった。

ceroのライヴはすごく良かった。でも、やっぱりまみさんのことをたくさん思った。
あの日着ていたルアングリーンの背中の大きく開いたドレスのこと、一緒に踊った曲のこと、話した細かい内容まで、思いのほか色々なことを鮮明に覚えていた。そりゃそうだよな、楽しかったもんな、と思った。
でもあの日のことでひとつ、胸が痛いことがある。ライヴの途中で、じゃ、と別れて別行動になり、そのまま会場内ではすれ違わないままだったが、終演後、外で別の友人たちとコンクリートの上に座り込んでしゃべっていてふと顔を上げると、会場から出てくる人波の中に、まみさんを見つけた。わたしは「さっき適当に別れちゃったから、ちゃんと挨拶しようかな」と思って腰を上げかけたけど、「またそのうちライヴかヅカで会えるよね」と思って、そのまま、見送ってしまった。そしてそれが最後になった。
ちゃんと、「まみさんお疲れ様でした、またー」と言っておけばよかったなぁ、と思っている。もし仮に、あの時そう言っていたとしても、わたしは今きっと別の何かを後悔していたと思うし(ご飯に誘っておけばよかったなぁとか)、こういうのは、言い出すときりのない後出しの感傷なんだけど、それでもSTUDIO COASTにいる間じゅう、まみさんのきれいな背中が脳裏に浮かび続けていたし、あの時腰を上げていればよかったということを考え続けずにいられなかった。

ライヴが終わったあと、わたしはあの日「まみさんお疲れ様でした、またー」と言えなかった場所にしばらく立って、帰っていく人たちの波を眺めてみた。特にこれということは何も考えられなかった。ただ淋しかった。まみさんに会いたいと思った。

帰り道は、ceroの中でも特に好きな「FALLIN'」という曲を聞いた。

もうここにはいなくなってしまった人に向けた歌で、「思い出せる」という歌詞が繰り返す。「忘れるわけないだろ」という歌詞もある。今聞くのにぴったりなようで、実際には、今はそこまで心に沿わなかった。まだそういう風に悼む段階には、ないのだと思った。会えなくて淋しいとか、雪組の次のトップのことたくさん話したいのになぁとか、わたしを含めたたくさんの人がまみさんを必要としているのになぁ、なのに何でこの世界にいないんだろうとか、やっぱりみんな嘘なんじゃないかとか、どういうことなんだろうとか、そういうところから先へ、わたしはなかなか行けないでいる。大好きな「FALLIN'」が頭の中でからからと回っていた。

21時過ぎの京葉線には、ディズニーランド帰りの若いカップルがたくさんいて、なぜか分からないけど床がびちゃびちゃに濡れていて、みんながそれを避けていた。何の液体か分からないけどわたしも別の車両に移動した。早く家に着いてくれと思った。

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20161111

映画を観に行くために久しぶりに早く起きた。早くと言っても9時くらいだけど、いつもは11時過ぎでないと起きられないので、早い方だ。
賞味期限が切れたパンにバターを塗って焼いて、録画しておいたコント番組を見ながら食べたが頭に入らなかった。


最近無性に何かを練習したくて、ヘアアレンジの練習をしている。インスタで見つけたかわいいアレンジの動画を見ながら四苦八苦して、ようやく髪がまとまった頃には出かける時間の10分前になっていた。日焼け止めを塗って眉毛だけかいてとびだした。
外に出ると雨が降った後みたいで、地面が濡れていた。また降り出しそうな気配があって、部屋に戻って傘を持ってくるべきだと思ったけど、面倒でやめた。持っている中でいちばん厚いコートを着ていたけど、それでも寒かった。

 

映画はとても良かった。でも何ヶ月かぶりに映画館で映画を観たので最後の方は少し集中力が切れてぼんやりしていたかもしれない。

 

帰ってきて、きんぴらをつくった。一旦作り終わって味見したら何だかぼんやりした味で、醤油やみりんや砂糖やだしを足したり、水で薄めたり、色々していたら舌がきかなくなって、一度そのまま置いておくことにした。ゆうべ夫が、きんぴらが食べたいと言ったのだった。

独身の頃は、料理をする習慣がなかった。食べることにも興味を持てなくて、納豆ご飯やお菓子を夕飯にしていた。

 

母もあまり料理が好きではなかった。母の料理は美味しかったし、バリエーションも少ないというわけではなかった。でも、料理をする母はいつも苦痛そうだった。
わたしが上京した後は、帰省するたびに、いつもわたしの好物の豚汁やハンバーグやいかの酢味噌和えやポテトサラダをつくってくれているけど、母はそれらをちょっとつまむだけで済ませている。歳のせいもあるだろうが、元々食べるのもそんなに好きじゃなかったんだろうと思う。

 

夫もまた食べることに興味がなかった。付き合い始める前、普段夕飯どうしてるんですかと訊かれて、スナック菓子とインスタント味噌汁とかです、と答えると、僕はカロリーメイトとランチパックですと言うので、気が合いそうだと思った。気が合いそうというか、負い目を感じなくて済むと思った。
結婚の話が出た時も、この人ならそんなにご飯を作らなくて済むんだろうな、と思った。

でも結婚したら、夫は意外に、あれが食べたい、と毎日はっきりリクエストしてくるようになった。わたしはそれが苦痛で仕方なく、クックパッドで自分でもできそうな簡単なレシピを探しては、頑張ってつくってみた。だいたい美味しくできたが、まったく楽しくはなかった。洗い物も嫌で仕方なかった。

 

でもそういう日々が半年くらい続いて、何がきっかけだったか分からないけど、だんだん料理をするのが楽しいと思えるようになってきている。
これが食べたいという気持ちと、じゃあ作ってみようという気持ちと、出来たぞ食べようという気持ちと、美味しいという気持ちが、一本につながってそこへきちんと血が通い始めた感じがする。今日のきんぴらだって、「きんぴらならいつもより辛いのが食べたい気分だな」と思って、赤唐辛子をたっぷり入れてつくった。見るだけで舌がひりつくのが想像できるような出来上がりは、深く自然な満足感を抱かせてくれる絵だった。

一旦置いていたきんぴらを食べると、冷えて味がしみて落ち着いて、きちんと美味しくなっていた。辛かった。うれしいと思えた。

 

わたしはこれまで、食べたい→作ってみよう→出来たから食べよう→美味しい(美味しくない)! という気持ちの動きを、体験したことがなかった。そして、そういう過程を経て、料理する喜びみたいなものが生まれることがあるのだということも、知らなかった。それを実践している人が、周りにいなかったからだと思う。
わたしは料理を楽しいと思いたかったのかもしれない。そう思えるチャンスをたまたま逃し続けてきて、たまたまそれが、今やってきたのかもしれない。
これが一時の気まぐれじゃなくて、ずっと続くといいなと思う。

 

この文章を書いている途中で、無性にフレンチトーストが食べたくなったので、明日の朝つくろうと思う。

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20160723-24

土曜に友達と会った。

本当は7月の頭に会うはずが友達が風邪をひき、中旬に延ばしたが今度はわたしが体調を崩し、延び延びになっていたのが、やっと実現したのだった。

 

パンケーキを食べながら散々話して、コーヒー屋に場所を移すまでの間、友達が映画『FAKE』の話をしてくれた。ゴーストライター疑惑で話題になったあの人に密着した、ドキュメンタリー映画だ。

 

思わず笑ってしまったシーンなんかをいくつか教えてくれ、二人してゲラゲラと笑ったのだが、笑いが収まった頃に、友達がぽつりと、「でもやっぱり、本当に聞こえてるか聞こえてないか、分からないよね」と言う。

確かにそうだ、と自分事のように思ったのは、わたしが最近眼鏡を買ったからことと関係がある。

 

すごく精密な検眼をしてくれる眼鏡屋さんで、そこで初めて自分の目のつくりが複雑だということが判明し、それに合わせた眼鏡をつくってもらった。

出来上がった日、それを掛けて、眼鏡屋さんの店内をぐるりと見渡した時の驚きは忘れられない。世界が三次元だということに初めて気付いたみたいに、物の立体感が昨日とはまるで違って見えた。物をかたちづくる線も、一本一本くっきりときれいに見えた。世界はこんな風にできていたのか、こんな風にできていたのに、わたしにはこんな風に見えていなかったのか、と思うと、ショックだった。自分には見落としたものや、間違って見ていたものが数え切れないほどある。なぜもっと早くきちんとした眼鏡屋さんに出会えなかったのか、と悔しくて泣けてしまった。

 

驚きと悔しさがひと段落すると、ふつふつと疑問が湧き上がってきた。そもそもみんな違ったように物を見ているのに、正しい見え方とか間違った見え方とか、そんなのものはないんじゃないだろうか。世界がどうできているとか、分からないんじゃないか。これの正しい色やかたちはこうだとか、そんなこと誰に分かるのだろう? セブンイレブンの看板のオレンジと緑はみんな違う濃さで見えているのかもしれない、そもそもオレンジと緑じゃないのかも、と考えた。小学生でも考えそうな、恥ずかしいほど幼稚な疑問なのだけど。

 

検査の話に戻るけど、丸のあいている方を答える目の検査で、見えるか見えないかのサイズになってくると、わたしはいつもどうすべきか迷う。見えるような気もする、左のような下のような気もする、でも全然見えないような気もする。で、適当に答える、ということが多いのだけど、その返答に基づいてあなたの視力はこれですということが数値で出されてしまう。見えているかどうか、わたしにもよく分からないのに、右目の視力が0.2ということになる。

 

話題のあの人は、聞こえているとも聞こえていないとも検査結果が出ていて、会見で、手話の通訳の前に返答して笑われたりもしていた。本人も聞こえているかいないか、というかそもそも聞こえるってどういう状態までを指すのか分かっていない、ということは全然あり得て、実のところは、誰にも分からない。

見るとか聞くとか感じるとかいうことは、それくらい不確かで、かつみんなそれぞれ違っているから、全然わけが分からないことで、誰にも何も言えない。

聞こえる、と、聞こえない、の間には、グラデーションがある、というような言い方をする人もいるけど、そこにあるのはグラデーションなんていうきれいなものではないと思う。もっと、混沌としているものなのではないか。グラデーションというより、マーブル模様のような。

 

そんなことを考えた翌日、夫と夫の上司の家族とキャンプ場に行った。ご飯を食べて片付けが終わった後、二人で遊んできて、と言われ、芝生の広場や釣り堀やアスレチック場をつなぐ道をぷらぷら歩いていると、ポニーに乗れる場所があった。わたしは馬が大好きなので、乗りたい乗りたい! とひと通りはしゃぎ、乗ることにした。

 

夫に携帯を渡し、動画を撮ってれと頼んで順番を待ち、ポニーにまたがった。ポニーが一歩踏み出すごとに体が左右に大きく揺れ、とても怖かった。前を見ると、当たり前だけどいつもより視線が高くて、ますます怖くなる。あまりにおこがましくてばからしいのだが、武豊騎手や戸崎圭太騎手が見る景色はどんななんだろう? とも考えた。

 

降りてから、夫の撮ってくれた動画を見たら、全然ちゃんと撮れていなくて、半分くらいわたしじゃないところを撮っていた。ポニーの頭だけとか、地面とか、柵とか、周りにあるデパートの屋上にあるような乗り物とか、走り回る子供とか。

でも、馬にまたがった瞬間の、わたしの驚いた顔はばっちり撮れていて、わたしは自分がこんな顔をしていたのか、とまた驚いた。わたしはこの人の前で、こういう顔をするのか。じゃあ、あの日一緒に眼鏡を取りに行って、掛けた瞬間も、こんな顔をしていたのかもしれない。

 

ポニーの頭とか、地面とか、柵とか、周りにあったデパートの屋上にあるような乗り物とか、走り回る子供とか、わたしとか、それらを映しているのは携帯のカメラであり、夫の手と目だ。そして、動画の中のわたしがカメラに目を向ける瞬間、わたしは夫の手と、その向こうの目も見ている。わたしたちはそれぞれに、違うものを見ている。動画を見て、わたしは夫のわたしを見る目を知る。わたしが夫を見る目を知る。

その晩、夫が眠った後、わたしは何度も何度も、動画を再生した。動画の中のわたしは、肩の力が抜けていて、自由に自然にしているように見える。コンプレックスである前歯を恥ずかしがることなくむき出しにして、驚いたり、笑ったりしている。これがあの人が見ているわたしか、と思い、わたしは自分がこの人と結婚しようと思った瞬間のことを思い出し、ひそかに胸を熱くした。

 

それでもわたしは、そんな気分を何度も忘れると思う。そしてきっと何度も思い出す。そういう性懲りもない瞬間の繰り返しと集積が、多分わたしたちをかたちづくっていく。

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20160522

昨日、日比谷野音で行われたceroのライヴに行った(もしceroを知らない人がいたらググってください)。
わたしはceroが大好きで、このライヴを心の底から楽しみにしていた。比喩でなく、指折り数えてこの日を待っていた。

去年の秋ごろから、つらいことが続いていた。考えてみればひとつひとつは大したことではないのだが、生活というのはたくさんのことがいっしょくたになり進んでいるもので、つらいこともつらくないことも、ひとつずつはやってこない。束になったり層になったりしながらあれこれが押し寄せてきて、わたしの頭の中では、もう頑張れない、あと少し頑張ろう、もう頑張れない、というのが、いつも交互にぱかぱかと点滅していた。

今年に入り、ceroの東西野音でのワンマンライヴが発表された時、それだけでもう救われた気持ちがした。何があってもそれまでは頑張ろうと思った。きちんとその日を見届けたいと思った。そして昨日を迎えた。

ライヴの前半は、感情が高ぶりすぎて、最高に楽しい! という以外は記憶が曖昧なのだが、気持ちが落ち着いてきた頃にふと、隣の女の子が歌っていることに気付いた。
隣にいる人にしか聞こえないくらいの大きさで、高城さんが歌うのに合わせてそっと口ずさんでいた。もしかしたら、わたしが興奮していた間も歌っていたのかもしれない。

それを聞いて、わたしはこの子は今までこの歌を、何回くらい歌ったのかなと考えた。
何回くらい聞いたのか、誰と聞いたのか、どんな部屋で聞いたのか、何を食べながら聞いたのか、夏だったのか冬だったのか、どの道を歩きながら聞いたのか、何線に乗りながら聞いたのか、その時中吊りには何が書かれていたか、そういうことを延々と想像した。妄想した。
音楽は部屋で聞けて、外へ持ち歩くことができて、こうして生で聞きに行くこともできて、すごくつまらないことを言うけど、ここに集まっている全員にceroの曲にまつわる物語があるんだと思ったら、果てしない気持ちになった。
そしてその物語の大半は、何の変哲もなくありきたりで、めちゃくちゃにドラマティックなものなんて多分そうそうない。でもそれは、その人だけのものだ。
わたしのceroの曲にまつわる物語も、とりたててドラマティックではない。でも、まごうことなく全部わたしだけのものだ。仮に誰かと一から十まで全く同じだったとしても、わたしのものだ。
そう考えたら、さらに果てしない気持ちになった。
ここにいるわたしとわたし以外の人たちは、程度の違いこそあれceroが好きだろう。そして今同じ場所で同じ音に耳を傾けている。でも何もかもが違っている。わたしとわたし以外の人は違うし、人は一人一人みんな違っているんだということに、初めて気が付いたような気分だった。もちろんそんなことは物心ついた頃から頭では分かっていた。でも、体感としてそれをはっきりと理解したのは、昨日が初めてだった。

わたしは会場を見渡して、ステージを見て、ステージの奥に建つ大きなオフィスビルを見て、それから空を見た。ヘリか小型の飛行機が飛んでいくところだった。あの中にも人生があるのだ、と思った。

そしてわたしは、この先このわたしだけの人生を、どうしたいんだろうと考えた。
20歳くらいの頃は、28歳ってようやく仕事が楽しくなってきたり、お金がそこそこ貯まってきたり、デパートの一階で大して躊躇せず高い化粧品を買ったり、おしゃれなレストランでご飯を食べたり、ドラマみたいな大恋愛をしたり、友達と気軽にハワイに遊びに行ったりするのかと思っていた。でも実際にはわたしは一度もそんなことを経験していない。というかそもそもそんなことしたかったのかも分からなくて、ぼんやりしていたら今日になっていた。恥ずかしくて、不甲斐ない。
でも、この際どうしたかったかはもうどうでもいいし、どうしようもない。今、どうしたいのかを、今、考えなくてはだめだと思った。考えた方がいい、というのとは違う。考えなくてはいけないと強く思った。

わたしはまず、とにかく今この瞬間したいことをしてみようと思った。些細なことでも、したいことを少しずつ積み上げていけば、だんだん自分や、自分の人生の輪郭が見えてくるのではないかと思った。それで、今何をしたいかな、と考えて、隣の女の子のように歌ってみたいと思った。大好きなceroの演奏に合わせてわたしも歌ってみたかった。
わたしは、彼女よりずっとずっと小さな声、わたし自身にしか聞こえないくらいの声で歌ってみた。
口から声が出たら、それと一緒に涙が出た。わたしはずっと歌いたかった、声を上げたかったのだということに気付いた。

女の子は相変わらず歌っていて、高城さんももちろん歌っていて、わたしは泣けてしまってもう歌えなくなっていた。
女の子のひらひらしたカットソーの袖が、わたしの腕に触れては離れた。彼女は体を揺らし、歌いながら、時折眼鏡と顔の隙間に指を入れて涙を拭っていた。

同じだね、でも違うね、と思った。
永遠に分かることのない彼女の心の内に勝手に思いを馳せながら、ceroの素晴らしい演奏と歌声と、雨の予感を含んだ空気と夕暮れに溶けていく彼女の細い声を聞いた。よく生きたいと思った。
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