母さん助けて日記

母さん助けて詐欺のない世界を祈りながら綴る日記+α

20181012

駅へ向かう夜道、あたりが暗いせいで電車の窓のあかりだけが目の先の橋をたたたた、と横切って、月並みだけど、空を走っているようだと思う。

終電間際の電車はガラガラだった。みんなこんな時間にどこに行くのだろう、と考えて、出かけるのではなく帰る人もいるのか、と思い当たる。正面に座る女の子は首を垂れて膝に抱いた黒いリュックに顔を埋めていた。出かける人には見えない。

女の子はぱっと顔を上げ、すごい速さでスマホを操作し始めた。マスクをしていてよく分からなかったが、わたしより年上に見えた。切りっぱなしの加工がしてあるデニムのスカートの下に、厚いタイツを履いていて、そんな季節が近付いているのかと驚く。わたしは暑がりで汗かきなので、季節の変わり目がよく分からない。そのせいかよく風邪をひく。昨日、友だちとマヌカハニーは高すぎるという話になり、「風邪なんて一年に一、二度とひくくらいなのに、割高だ」と言うので驚いた。ひとつの季節に、の間違いではないかと思った。体が丈夫な人が心底うらやましい。

持病で飲んでいる薬の副作用で、以前から手が震えることがあったのだが、最近それがひどくなっている。まっすぐ字が書けない。箸で細かいものをつまむのが難しい。普段、特別きれいな字を書かなければならない機会も、人前で食事をする機会もあまりないけど、昨日知らない人たちの中に混ざって食事をする機会があって、初めて会った人にやはり手の震えを指摘されてしまった。

初対面で太っている人に太っていますねと言う人はあまりいないのに、手が震えている人に手が震えていますねと言う人が多いのは、たぶん震えが緊張とか興奮とか、そういう心の単純で、かつ強い動きと結びついたものだと思われているからだろう。どうしてそんなにドキドキしているの? という素朴な疑問、そんなに緊張しなくていいのに、という気遣い。でもどういう意図であれ、だいたいの場合笑いを伴って発せられる「手、震えてるよ」は、一日の終わりに影を落としたりする。

丈夫な体と、丈夫でない体を恨まない丈夫な心がほしい。

駅に着き、階段を降り、ほんの一ヶ月前までよく乗っていた地下鉄に乗り換える。かつてわたしたちの家だった、夫の家に向かっている。わたしたちは明日、和歌山へ行く。最後の旅行だ。数分後どんな顔をして夫に会い、帰りの空港でどんな顔をして別れればよいのか分からないが、仮に分かっていても思う通りにできないということは分かった。

二つ前の駅で乗り込んできて斜め前に座った三人の酔った男たちの大声に、わたしの向かいの男がいらだちを隠せないでいる。三人の話は続いたが、何を言っているのかはさっぱり分からなかった。駅に着き車両を降りる間際、ひとりが「ナガノさん!」と叫んだのだけは聞きとれた。